朴普煕(パク ポウヒ)先生は、
どのようにしてお父様に出会われたのでしょうか。
そして、そのあと取られた行動とは。。。
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真のお父様との出会い
真のお父様との出会い
(翌日、)陸軍少佐の私は、部下に
「金永雲(キム ヨンウン)先生の教会がどこなのか調べなさい」と命令しました。
それが「統一教会」だということと、
教会は青坡洞(チョンパドン)にあるということが分かりました。
そして水曜日、軍服を着た私は青坡洞に1人で現れたのです。
しかし道がよく分からないし、看板もありません。
それで近くの店の人に、「統一教会はどこか分かりますか」と聞いたら、
「ああ、統一教会ですか」と、
じろりじろりと見ながら教えてくれました。
「向こうを回って角を曲がったら小さな入り口があります。
そこを行って、右に曲がったら小さな門がありますから、
その門を押して入りなさい」と言うのです。
昔は入り口がなく、看板もありませんでした。
そのとおりに行ってみると、旧本部教会がありました。
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その夜、初めて統一教会の礼拝に参加しました。
2月で大変寒く、ストーブはあっても火はついていません。
5、60人の若者たちが、ひざまずいて座って、聖歌を歌っていました。
若者の聖歌の歌声は心霊に深い感動を与えてくれました。
私は一番前に座って、説教を聞いたのです。
説教が終わると、私のそばに座っていて質素な軍人の
ジャンパーを着ていた方が立ち上がって、み言葉を語り始めました。
「この若いお方はだれだろうか。眼光が鋭く、
あまりにも威厳がある」と思いました。
その時、礼拝堂の後ろのいすに座っておられた
劉孝元先生が教会の責任者だと、私は思っていました。
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礼拝が終わると、金永雲先生は笑顔で握手をしてくれました。
そして「どうやって来たのですか」と言うのです。
それで「案内がなくても、私は情報将校だから、
そのぐらいのことはすぐ分かります。
『また来てください』と言ってくださるのが待てなくて、
自分で探してやってきました」と私は答えました。
すると金永雲先生は「あなたは特別です。先生にご紹介しましょう」
と言って、私をお父様の所へ連れていってくれました。
そこでごあいさつをした方がお父様で、
先ほど私の前でみ言葉を語られた質素な方だったのです。
お父様は力強い握手で、「あなたの話は金永雲先生からよく聞いていました。
部屋に入りましょう」とおっしゃいました。
それが、私とお父様との出会いです。
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その日からできるだけ、私は教会に時間を費やしました。
昼は軍人として勤務し、夜は毎晩教会に行って、お父様のみ言葉を聞きました。
朝も早く教会に行って、5時のお祈りをして、教会の掃除をしました。
というのは、私は肩には将校の階級章がついていましたが、
統一教会から見たら二等兵だったからです。
私は毎朝、教会の便所掃除をしました。
それから礼拝堂を掃いて水拭きしました。
外に出たら将校、中に入ったら二等兵という気持ちで、
教会の掃除をするのが、当時の楽しみでした。
「めざそう!天国家庭」より
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「将校」という身分は、とても立派なのに、
教会では、「二等兵」だと自ら自覚されて、
トイレ掃除から出発された朴普煕先生。それも喜んで。
これはなかなかできることではないですね。。。
朴先生は、み言に出会う前から、
しっかりとした人格の方だったでしょう。
このような方のことを「義人」
と呼ぶのではないか、と思います。
その後、アメリカ大使館で武官として派遣され、
10年間、英語を完璧にマスターしたのちに、
お父様の通訳として活躍され、
「メシヤの口」というニックネームがつきました。
フレーザー委員会の時にも証言にたった朴先生。
「真実」というタイトルのビデオも懐かしいですね。
お父様の摂理を進めていくにおいて、
大きな役割を果たされた朴先生。
霊界でのご活躍を心から祈念するとともに
ご冥福を心からお祈り申し上げます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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