真のお母様が、元日の祝祷の後に
語られたみ言を紹介します。
☆
愛する祝福家庭の皆さん!
世界中で視聴している祝福家庭の皆さん!
愛しています。(拍手)
天の摂理は驚くべきものです。
さっきお祈りでも言ったように十干十二支、
ご存知の方はご存知でしょう。
今年が十二支の最後の年です。
2020は新しく出発する年になります。
私たち韓国の祝福家庭の皆さんには、
過去私たちの先祖が念願してこられましたし、
多くの困難な環境の中でも民族のために
先駆者の道を歩んだ誇らしい先祖がいます。
しかし、彼らは天の摂理を知りませんでした。
なぜなのか、このように全ての人類が平和な世界を
望んでいるというのに、
聖書の歴史で6千年もの間に一度も、
戦争と葛藤がないそうした時代はありませんでした。
原因が間違っているからです。
私たちはその原因を知っています。
知っている立場で知らない人たちを
教育しなければならないでしょう。
本来、宇宙の主人は創造主の神様です。
今日の全世界は200ヵ国以上です。
大きい国でも小さな国でも、
自分のものだといっています。
しかし、彼らのものはありません。
主人が創造主の神様ですが、
その神様が認めない"自分のもの"はあり得ません。
だから私たちは、知る立場で、
神の子になるその立場だけで神様が下されば、
それが私のものになるのです。
このようなことを見るときに、私たちがすべきことは、
神様を知らせなければなりません。
創造主神様!
天地万物を創造して人間始祖になる
男と女を創造しました。
彼らには特権をくださいました。 成長期間という。
神様と絶対的に一つになった場で成長して
神様の祝福を受けるその場が実体として
天の父母が臨在する人類の真の先祖、
真の父母の立場になるのです。
そんな祝福をしましたが、
先祖になりうるその立場を失ってしまいました。
それで、天は苦労と、また探さなければならない、
蕩感復帰救援摂理の歴史をなさるほかありませんでした。
どれほど苦しければ、4千年という期間を経て、
自分の息子とも言える一人子を送ってきましたが、
彼を生んだマリアも、周辺の人物たちも
イスラエルの民もわかりませんでした。
今日の2千年のキリスト教の歴史は
十字架の義血で救援されていると信じています。
しかしイエス様は亡くなってから、
もう一度来ると言って、もう一度来ては
子羊の婚宴をすると言ったので、賢い人なら
どこに、いつ、どのようにイエスの相手になれる
一人娘が誕生したかを捜さなければなりません。
神様は全知全能の方です。
始まりと終わりが同じ方です。
必ず勝利しなければなりません。
しかし、人間に特権を与えて下さったことが問題となり、
人間の中で堕落した人間の中で勝利したという、
真の父母が現れるまで6千年を待ちました。
その"待つこと"の中心に韓半島のこの大韓民国を
祝福してくれました。
それなら、この大韓民国が、真の父母の祝福を
受ける民にならなければならないでしょう。
責任を果たさなくてはいけません。
祝福の前には責任があります。
その責任を果たせなくなると、蕩減を受けます。
私たちに与えられた時間は1年です。
わかりますか?
この己亥年に必ず国家復帰、
天一国の民としての資格を持った
大韓民国になるように皆さんを追い込みます。
アーヂュ!
(通訳は暫定版を一部編集したものです、
ご了承ください
文責:ten1ko2)
ご了承ください
文責:ten1ko2)
☆
今年の干支(えと)は、
己亥(つちのとい・きがい)であり、
お母様がお祈りされていました。
また、十二支では、亥年が「最後の年」であるといって
お母様は、私たちを追い込んでくださっています。
強く押し付ける、追い詰めるという意味の言葉を使っておられますが、
私たちをプッシュしてくださるお母様です。
実際に、12月31日の報告会において、
世界本部長の報告によりますと、
ある国での取り組みが難しくなり、
お母様に「不可能です、難しいです」
そのように申し上げると、お母様は、
出来るまで押し切られた、と言います。
そして、その結果がネパールで実ったのだそうです。
3.1独立運動からちょうど100年目であり、
2020年まで1年を残したこの時です。
韓国に対して、本気モードのお母様。
私たちも天運と勝利圏、
お母様を絶対的に信じて、
不可能であることを
可能であると信じ、実現していく、
そのような2019年度にしていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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