この1月9日に、104歳で聖和された
李ヨハネ(李耀翰:イ ヨハン)先生の100歳の時のインタビュー、
後編です。(韓国世界日報より)
☆
(後編)
(後編)
──信仰生活をしながら、どのような点が最も難しかったですか。
教会創立前に教会の看板もなく、伝道した時です。
どの宗派から来たのかと聞かれた時に言葉がありませんでした。
1954年に教会が創立されましたが、
当時の牧師や伝道師の中には神学校を出た人が皆無でした。
(多くの人は)マタイが何かも知らないまま
「新しいみ言」という意欲だけ抱いて伝道し、苦労をたくさんしました。
☆
──信仰をしながら文総裁の使命を疑うとか、反旗を翻したことはなかったですか。
私が何を聞くか、あらかじめ知って
豊富な答えを下さるので、疑う暇がありませんでした。
何度か衝突はありました。
教会がお金を出して、地方の教会を建てなければならなかった時、
また、空気銃の製造工場を作った時です。
教会は、牧師が、地域住民の協力を得て、
自ら作ることで発展することができると提案し、また
空気銃工場より神学校を建てることが急務であると言ったのですが、
通じませんでした。
あまりにも洞察力が高い方なので、み言を破る考えはおこりませんでした。
あの方としては、復帰摂理歴史をする、財力が絶対に必要でした。
世の中の人々に支援を受けることができないと判断したので、
自分で財政確保に邁進したものであると理解しています。
ここでは、日本が最大の功労者です。
☆
──現代人が宗教をますます遠ざけています。
宗教が問題でしょうか、信仰者個人が問題なのでしょうか。
宗教が問題だと思います。
聖職者達が、神霊と真理の人を作れずにいます。
宗教儀式だけでは人を変化させられません。
聖職者自ら神霊的でないので、人を作れないでしょう。
聖職者は信徒たちに感動を与えることができなければなりません。
そのためには愛の奴隷であり、信徒に仕えなければなりません。
宗教がますます冷たくなって、一つの文化に転落してしまっていて残念です。
☆
──宗教の旗を再び高めることができる解決策はあるのでしょうか。
*神の存在を新たに刻印させなければなりません。
神は無条件に人間を助け協力する方ではありません。
人間が神を慕って懇願するとき協助するのです。
慕う心がなければ、神も協助しません。
*また、死後の世界(霊界)があるという事実を
明確に知らせることができなければなりません。
統一原理には地上世界が
「無形実体世界(死後の世界)の影」と説明されています。
科学が発達すると霊界を撮るカメラが出てくることでしょう。
*次に、宗教が生き残るためには
孝と霊性を育てる場所として生まれ変わらなければなりません。
文先生は、孝は子が親に返すのではなく、
親が子供に返すことで開始されなければならない
と孝の道理を革命的に教えました。
親が子供に礼を尽くすことは容易ではありませんが、
足りない部分は、子に理解を求めて家庭で
孝の文化を再創造しなければなりません。
翻訳をです・ます調にして
わかりやすく編集しました
(昨日の前編も編集し直しました)
文責:ten1ko2
わかりやすく編集しました
(昨日の前編も編集し直しました)
文責:ten1ko2
☆
衝突したことはあるけれど、
お父様を裏切ろうと思ったことはないという
李ヨハネ先生でした。
「空気銃工場より神学校を建てることが急務であると言ったのですが、
通じませんでした」
この内容で思い出したことがあったので、
少し書いてみたいと思います。
かつて神学校を出た李ヨハネ先生が、
上記のことを言われたら、躓かなかったでしょうか。
私たちでも疑問に残る内容ですよね。。。
昔、本部の講師に聞いたことがあります。
これは、「蕩減銃」なのだと。
本当は人の血を流さないといけなかったけれど、
代わりにハトの血を流し、代理蕩減をした。
その摂理をしなければならなかったので、
神学校より先に作らなければならなかった。
お父様は、その時、事情を説明せずに、
やることだけを話した。
でも、信じられないようなことを信じることが、
条件になっていった。
というのです。
そう考えた時に、このように言えないでしょうか。
お母様を反対している人たちから見ると、
お父様と違うようなことをしているように見えます。
しかし、意味があってされておられるのです。
しかも、お父様のために。
話を戻しますが、李ヨハネ先生は、
上記のような様々な試練があったと思いますが、
お父様のみ言の背後を見られて、
受け止めて乗り越えていかれました。
ですから、本当の信仰者なのだと思います。
李ヨハネ先生、今までありがとうございました。
霊界で、さらにご活躍されますように。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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