2019年01月15日

李ヨハネ先生の逸話 1時間以上慟哭の祈祷で、涙の礼拝! 《世界聖和式送辞》前



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李ヨハネ先生が、統一神学校の学長の時、
たくさんの方が学ばれましたが、
そのうちの一人が、アジアの大陸会長であられる
龍鄭植(ヨン チョンシク)総会長です。

世界聖和式において、貴重な証しを述べておられます。


今日は2019年1月12日、天一国6年、天歴12月7日、
牧師様が1916年9月4日に出生され、
2019年1月9日早朝4時に104歳の期日に生を終えられ、
真の父母様の大きな愛と恩恵の中で、
“神統一韓国時代開門忠誠者”という祝福をうけられ、
全世界の食口たちがともに追悼する中で天城へ入城される日です。

今日皆さんに捧げるこのみ言葉は牧師様の聖和式の送辞というより
私が牧師様に侍りながら体験した証の一部だと思って聞いていただければと思います。

私にとって李(イ)ヨハン牧師様は私の人生において、いや、永生において
永遠に忘れることのできないお方です。
なぜなら牧師様は真のご父母様がどんな方なのかを正しく教えてくださった
偉大な師匠であるからです。


私はまだ分別がなかった時代の1975年6月1日、高校に通うとき
入教してみ旨を知り、一般大学に行くことをあきらめて1978年に
統一神学校2回生として入学しました。

私が神学校に入学することになった動機はただ一つでした。
それは真のご父母様という方が神様と人類を解放されるというので、
真のご父母様がどのような方なのか、もっと深く知りたかったし、
もっと実感が湧くように体恤したかったからでした。

それで周りの先輩たちに尋ねてみたところ、統一神学校に入って、
李ヨハネ牧師様に会ってみなさいという助言をもらいました。
それで入学したのです。今になってよく考えてみると、
その時の私の選択が本当に正しかったと思われます。

それではその選択がなぜ正しかったのかいくつか理由を話したいと思います。

最初に、李ヨハン牧師様は真のご父母様がどのような方かを
教えてくださった方であり、涙の牧者の中の涙の牧者であり、
師匠の中の師匠であり、アベルの中のアベルであったからです。


1979年のはじめだと思います。
神学校の学生たちが本部教会で李ヨハン牧師様の説教を聞く時でした。
牧師様が開会祈祷をされる中で、慟哭されたのです。

6千年歴史に責任を持ち、摂理をなされる天の心情と事情と苦痛と
恨の蕩減路程について祈られながら、
そしてその神様を解放して差し上げるため天路歴程を歩まれる
真のご父母様のかわいそうな事情について祈られながら大慟哭をされ、
分別のない私たち弟子たちを許してほしいという切実な祈祷でした。

その祈祷は10分過ぎ、20分過ぎても止まりませんでした。
いや、1時間が過ぎてもとまりませんでした。
結局1時間以上大声で慟哭をされました。

その時教会は全体が涙の海となり、涙鼻みずが流れ続けました。
そして牧師様はそれ以上説教をされませんでした。
その日の礼拝はそれで終わりました。


この出来事が一人の若い20代初めの人生を完全に丸ごと変えてしまいました。

私は、“ああ、この方こそが本当に真のご父母様に似た真の牧者であるなあ!”
と悟るようになりました。

私も牧師様のように、天と真のご父母様を慰労して差し上げる
牧会者にならなければと決意し、私が牧会の道にいく決意をする契機になりました。 


真のご父母様のみ言の中にこのようなみ言があります。

明け方自分が祈っている床に涙が乾いてはいけません。
父母が子供たちを送っておいて、
どうして安心して暮らすことができるでしょうか。
そのように涙を流すということが
彼らを愛するということなのです。
愛と涙というものは通じて比例するというのです。
(265−237)


そうしながら、お父様が言われることが、誰が孝子なのか、孝子とは
父母のために涙を流す人であり、父母の不足な部分まで責任を持つ人です。

誰が愛国者でしょうか、愛国者とは国と国民のために涙を流す人です。
聖人と聖子とは誰なのか、世界と神様のために涙を流す人が
聖人と聖子だと語られました。


その時のこの出来事以後私の祈祷題目が変わりました。
私が神様と真のご父母様のために考え、祈祷するたびごとに
”私の二つの目から涙が乾かないようにしてください。
私の頬を流れる熱い涙が天と地と真のご父母様を慰める涙になりますように!“
とういうようにです。

李ヨハネ牧師様は神様の恨について多く語られました。
真のご父母様の悲しみについて語られながら多く涙を流されました。


それで私が今も牧師様のみ言を思いながら守ろうと絶え間ない努力をしていることは、

“牧会者のなかで一番危険でかわいそうな牧会者が
まさに涙のない牧者である。”

という言葉のためです。

私も牧会をしていますが、牧者に天に対する涙がなければ、心霊が乾きます。
心が頑なになるのを感じます。食口を批判するようになります。
しかし、牧会者に涙があるときは食口たちが復興し、
成長するのをみるようになります。

なぜなら父母の心情世界はいつでも涙が流れているからです。
そしてまだかわいそうな人類と真のご父母様と天の釈放において
この道をいく私たちに涙がないはずがないからです。


皆さんも知っておられると思いますが、毎日15万人の人口が霊界に行っていて、
1年に6千万人の人口が霊界に行っています。

お父様のみ言葉によると、霊界にいく大部分の人たちは地獄に落ちていくといいます。

私たちはお父様が聖和されてから真のお母様の涙を度々みるようになりました。
真のお母様こそがまさに本当に天の願いと夢と事情と悲しい心情を
よく知っておられるため、涙が多いのです。

今日牧師様を天上にお送りしながら真のご父母様に似た、真の牧者、
李ヨハネ牧師様に似なければいけないともう一度決意します。

李ヨハン牧師 世界聖和式
送辞  龍鄭植総会長


李ヨハネ先生のみ言を
たくさん紹介させていただいていますが、
その素晴らしいみ言の背後には、
数多くの涙が秘められているのだな、
そのことをまず感じました。

1時間以上慟哭の祈りを捧げる、ということ。
これは、心から神様、
そして真の父母様の心情に通じている、
それ以外にはないと思います。

どんな祈りを捧げられたのだろうか。。。
とても関心が湧きまるけれど、
そのこと以上に、龍(ヨン)総会長のごとく、
私自身が、そのような者にならなければ、
そんな風に感じました。

とても長い証しなので、後半は明日のお楽しみに。





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posted by ten1ko2 at 07:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする