2019年01月17日

李ヨハネ先生の遺言?! 教会に導かれた頃の証し 《キリスト教牧師からの華麗な転身》



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先日聖和された李ヨハネ先生は、男性としては、
南に来て初めて復帰されたといいます。
ボンネックル時代のことです。

どのようにして教会に導かれたのか、
それまでの経緯も含めて、紹介したいと思います。

クリスチャンの家庭に生まれた李ヨハネ先生。
幼い頃から長老教会に通っていました。

満州に移住しても韓国人教会に通い、
そこで牧会を担当することになりました。
24歳の時でした。

そして、第二次世界大戦が勃発し、
ヨハネ先生は、日本にわたり、
神学校に通います。

戦後、韓国に戻りますが、
物欲に眩み、聖職を捨て去る牧師たちに幻滅し、
ご自身で信仰を求める生活をしました。

そして、お父様との出会いがあったのでした。。。


その後ソウルから何時間か離れたある教会を受け持って、
ソウルに住みながら礼拝を行いました。

この教会とは、南大門(ナムデモン)教会の長老を通して因縁を持ち、
引導者がいない間だけ担当したのです。

そうしながら南山(ナムサン)チョンヘ神学校2学年に編入して1学期を通いました。


このような中でも神様は直接啓示を通して、
又は信仰のある生徒の証しを通して『時』を教えてくれ、
『主の再臨』を知らせてくれました。

38度線のため平壌(ピョンヤン)の信仰熱度を直接知らなかったのですが、
そこで信仰生活をした熱誠信徒たちから、
平壌がまるで韓国のエルサレムだなということを実感することができました。

その人たちから「平壌に恩恵が多い一人の青年がいるが、
家庭で集会をして獄中に入れられた」という話を聞いたのです。

その青年の言葉を聞いたことのある人たちによると、
彼は他の人が分からないみ旨を知っている方のようであり、
何か非凡な方に間違いないようでした。


平壌の青年の話をする人の中に、玉世賢(オク セヒョン)さんがいました。
彼女は当時40代中頃の婦人でした。

北から来た2名が家庭集会を通して恩恵を与えてくれましたが、
私もそのような集会で玉世賢さんを知ったのでした。

当時、玉世賢さんが侍っていたその青年は、韓国に再臨主が来られ、
既成教団は使命を果たせず火が消え、
パリサイ教団と同じだと主張しているということでした。

私もその言葉に共感し、それで牧会者たちの彷徨(ほうこう:さまよい歩くこと)
始まるのかと思ったのです。


6.25動乱が勃発すると、すぐに私は南へ避難民隊列に混じって下り、
釜山(プサン)に到着し、避難民たちといったん草梁(チョリャン)教会に居所を定めました。

更に済州島(チェジュド)に入り、何ヵ月か配給の食料で過ごしました。
済州島でも教会で寝起きし、家庭集会をもちました。

既に私は玉世賢さんなどを通して聞いていた内容もあるし、
個人的に啓示を受けていたこともあるので、
一般教会の信徒たちと対話がよく通じないことを感じました。

礼拝時間にも参加はするが、どの信者に会ってもやるせない心を感じ、
教会を心配し再臨の時を話せる人に会うのは難しかったのです。


私は1952年下半期に、釜山で2、3ヵ月さまよった後、
全日家庭集会を通してソウルで会った玉世賢さんの居所を知りました。
そこで凡一洞(ポミルドン)に住んでいるのを知って訪ねて行きましたが、
玉世賢さんに会えず、先生に会いに市内に出ていることを知りました。

既にソウルでうわさを聞いて先生がどんな方であるかを知っていたので、
まず先生にお会いしようと、信者たちを伴って
凡一洞の土で築いた家を訪ねて行きました。


私は原理講義を堕落論から聞きました。
先生は原理原本をその年の夏にすべて書いたと言われながら、
それを読んでみなさいということでした。

最初は内容がとても難しかったのです。
後半の40日を中心とする復帰摂理歴史に対するみ言に一番感銘を受け、
その内容を写して熱心に勉強を始めました。

天の歴史がこのように40数を中心とする
サタン分立の公式によってなされてきており、
旧約と新約が公式的に連結されてアダム家庭の問題が解決されるので、
聖書に対する観点が変わるのを感じるようになりました。



李ヨハネ先生の信仰は、形式に重んじることなく、
信仰の本質を求めてこられたので、
お父様に出会うきっかけにもなっているのかと思います。

証しを読むと、お父様との出会いよりも、
み言に感動してこられたのだな、というのが印象的です。

お父様は堕落論から講義をされたのですね。
キリスト教では解くことのできなかった、
深い意味合いを知ってほしかったのだと思います。

ところが李ヨハネ先生が感動されたのが、
「サタン分立40数」でした。
この数理性もキリスト教ではわからなかったと思いますが、
神様の摂理には、数理性があることを李ヨハネ先生が知って、
感動されたのだと思います。

私たちは、お父様が解かれたみ言を、
もちろん貴重なものだとは思いつつも、
どれだけ解明されるために、精誠をつまれ、
サタンから勝ち取られたものであることを、
あまり意識せずに生活しているのかもしれません。

李ヨハネ先生、貴重な証しをありがとうございました。
そして、先生が遺してくださったみ言を
これからも宝としながら、み旨に役立てていきます。。。

この証しは、とても長いのですが、
最後の結論部分だけを紹介して終わりにさせていただきます。
何か、私たちへの遺言のような気がするのです。



今も私はみ言を伝える者として、一番心配しているのは
み言を聞き、恩恵を受けてそれで終わるのでなく
その原理のみ言を受肉して人格化させねばならないということです。

今まで(見てくる中で)、み言に出会うと、そのみ言に陶酔して、
あたかも小さい子供がおもちゃを持って遊ぶように喜んで、
終わってしまう場合が数多いように思われます。

今はみ言を宣布する時期というよりは、そのみ言で人になるときです。

初期には信仰が幼く世間知らずで、神様がくださったみ言を
嬉しく楽しく受け、その気分と一つになって事を成してきたのですが、
今になってみると人格と生活に連係させなかったような気がします。

もし、み言を聞いて喜んでばかりいないで、
「人になる」ことを心配したならば、
今日よりもっとましであったと思うのが私の心情です。







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posted by ten1ko2 at 10:22 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする