Blessed Lifeに阿部局長のコラム
「家族の絆づくり」において、
なぜ人は怒るのか?と題したコメントがありました。
☆
〈キレる人が増えている!〉
〈キレる人が増えている!〉
最近、危険な「あおり運転」が話題になっています。
ささいなことからキレて攻撃的になり、危険な事故につながるなど、大きな問題です。
他にも、お店や企業に対して過度なクレームを繰り返す「クレーマー」、
学校に理不尽な要求を繰り返す「モンスター・ペアレント」、
医療機関に理不尽な要求や暴言・暴力を繰り返す「モンスター・ペイジェント」など、
キレやすい人が増えているのではないでしょうか?
☆
なぜ、イライラしやすい人、怒りやすい人が増えたのでしょうか?
イライラしやすい人は、ものごとを自分の思い通りにしたい、
コントロールしたいという気持ちがとても強い傾向があります。
しかし、それらを完全に実現することはほとんどないので、
満足感を得られず、常に欲求不満状態です。
イライラしている本人は自分を被害者のように感じているかもしれませんが、
現実的でない期待を抱き、不一致を起こしているのは他ならぬ自分自身です。
また、自分に余裕や自信がないことが
相手や環境に対しての過剰な期待を持つことにつながり、
その期待と現実に大きなギャップが生じます。
その不一致の違和感が怒りとなります。
☆
〈怒る人の思考パターン〉
〈怒る人の思考パターン〉
感情はそれぞれの受け止め方、思考パターンによって決まります。
つまり、感情は自分が引き起こしているのです。
どんな考え方が怒りを感じやすいかというと、
「〜べき」「〜なければならない」「〜してはいけない」という考え方です。
「静かにすべきなのに騒いでいる!」
「やらなければならないのにやらない!」という思考です。
ものごとに対して100%を期待する完全志向であり、
期待値が高過ぎると現実とのズレが生じやすくなって、
ズレの分だけ怒りが大きくなります。
正しいことをしているようですが、
自分の期待に100%答えてもらいたいという相手に対する「甘えと要求」があります。
☆
ですから、イライラの解消のためには、
期待値を少し下げればいいというわけです。
「〜べき」ではなく、「〜だったらいいな」「〜したい」
「〜してほしい」などに言い換えたらどうでしょうか?
期待値を下げたら、少し怒りが小さくなります。
また、怒って感情的になっている時は、
大抵事実と感情がぐちゃぐちゃになっています。
「〜に違いない」「〜はずだ」という
思い込みや根拠のない妄想に基づいていることが多くあります。
自分の心を見つめ直してみましょう。
家族の絆づくり 51
なぜ人は怒るのか?
ナビゲーター:阿部 美樹
なぜ人は怒るのか?
ナビゲーター:阿部 美樹
☆
確かに自分の感情を抑えられない人が多くなっていますよね。
そのような思いになってしまうと、
自分の理性を超えて、別なものが入ってくるような気がします。
すなわち悪霊です。
☆
長年、東京拘置所の医務技官をしていた加賀乙彦氏が
「悪魔のささやき」という著書でこのように述べています。
「悪魔は果たして存在するのか? は、
私自身が数十年にわたって考え続けた疑問でもあります。
刑務所や拘置所で出会った犯罪者(死刑囚)や
病院で診療してきた患者さん(自殺生還者)と向き合い、
同時に自分自身の内面を覗き込みながら、
そしてまた聖書や文学に描かれた悪魔というものも手がかりにしながら、
私なりに出した結論は、やはり悪魔はいるだろうということです。
どんな姿をしているのか、肉体などなく霊的な存在なのか、
そういったことはわからないし、これからもわかり得ないでしょう。
しかしこれだけは断言できます。
少なくとも私たち人間の心の中には
悪魔的なものが確固として存在している、と。」
死刑囚との面会で、彼らが殺人をした時に、
自分ではない、何かが自分を動かしていた、
そのようなことを感じるている人が多い、というのです。
本当に恐ろしいことです。
☆
私たちは大なり小なり、自分の感情を
コントロールできない時があったりしますね。
霊的存在に主管されないようにするためにも、
阿部局長の記述にあるように、
人に対しては、愛をもって過分な要求をせず、期待値を下げて、
自分の心を見つめなおさないといけないと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)