歴史的「交叉(こうさ)祝福」が成された
6500双、その意味とは──
本部の家庭局(当時)で長年、局長をされた
倉本正彦先生の証し。
いつ、マッチングが始まるのか……
祝福式1週間前までのエピソードです。
☆
家庭局に人事になり、
お父様のマッチングに7回ほど
関わるようになりました。
その中でも最も印象に残っているのは、
1988年10月30日に行われた6500双の時でした。
☆
その年の夏ごろから祝福が近いと言われていました。
日本からは写真の準備を進めていました。
でも、噂はありましたが、具体的な連絡はなかったのです。
マッチングが行われるのか、韓国の家庭局に打診してみました。
「お父様の指示はない」との回答でした。
それで、「日本から写真を持ってきたらどうか。
お父様に『日本から来ています』と言ったら、
お父様はマッチングをしてくださるのではないか」
そのように言われました。
それでスタッフと相談し、10月中旬に韓国に出発したのです。
大きなキャリーバッグに一杯写真を詰め込みました。
案の定、空港に到着して、税関に詰問されてしまいました。
韓国の家庭局から空港に連絡をしてもらい、
説明をしてもらいました。
納得したようで、無事に通過できました。
漢南洞公館に行き、写真を整理しながら、
お父様の指示をお待ちしていました。
しかし、一向に指示がありません。
お父様には韓国に到着した時にご挨拶したので、
私たちがいるのを知っておられます。
韓国家庭局からも
「今回はマッチングはないのだろう。
だから帰ったらどうか」
そのように言われてしまいましたので、
仕方なく、帰る準備をしていたのです。
☆
そうしたら、お父様が
「マッチングを始める」という指示をされたのです。
10月22日のことでした。
マッチング会場に向かいました。
そこは、京畿道龍仁(ヨンイン)のメッコール工場でした。
会場には韓国の候補者が続々と集まってきました。
そして、翌日10月23日にマッチングが始まりました。
この時には、「祝福式が〇日にあります」と言われていなかったんです。
皆様もご存知のように、実際には10月30日に行われました。
ちょうど1週間前でしたが、この時には、会場も準備されていませんでした。
この時、韓国の人たちは2000名来ました。
また、日本人も250人ほど来たんです。
留学生や韓国に仕事に来ている人たちなどです。
お父様は、マッチングに来た人たちにみ言を語られました。
その時に語られたのは、『交叉祝福』に関してのみ言でした。
朝8時から夜8時の集会でした。
お父様は、次のように語られたのです。
☆
「交叉とはどういう意味でしょうか。
交わって一つになるということです。
交叉して怨讐関係が終わるということなのです」
☆
88年ソウルオリンピックがありましたね。
これは東西の和合した、記念すべきオリンピックでした。
その年の10月3日、お父様は世界統一国開天日を宣布されたのです。
国と国が交叉する時代を迎えました。
交叉しなければ、統一国は生まれないんです。
皆様もご存知のように、
韓国と日本は怨讐関係ですね。
アダム国家とエバ国家がそのような関係です。
その国同士が、全世界を代表して
交叉しなければならないわけです。
それは、祝福によって交叉するというのです。
☆
祝福結婚は交叉結婚とも言うことができると思います。
祝福の理想は極と極ですよね。
二人のタイプが反対なのです。
例えば、子供が生まれない家系と生まれる家系。
また、早死にする家系と長生きする家系を組み合わせるとか。
祝福結婚自体が交叉して平準化していくものです。
恨みを解いて一つにしていくのです。
どのようにして国と国が交叉することができるでしょうか。
怨讐の国を自分の国以上に愛するのです。
そのことを通して、神様が主管する新しい統一の国が生まれます。
そうすることにより怨讐が無くなるんです。
怨讐が無くなることでサタンがいなくなって天国の門が開くのです。
文責:ten1ko2
☆
交叉祝福により、怨讐がなくなる・・・
お父様のなされることは素晴らしいですね。
だから、祝福結婚をすることで、
様々な壁が開放されていくことを思うと、
神氏族メシヤの道の重要性を感じます。
そして、その究極というものが、
韓日、日韓の交叉祝福なのです。
これからどのように進んでいくのか、
また、次回のお楽しみ、ということで。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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