2019年02月16日

栄光在天、天に感謝し、問題児に感謝する?! 《金元弼先生》



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勝利の栄光は、
まず第一に神に帰し、
次に犠牲となった人たちに
全部返さなければいけません



金元弼(ウォンピル)先生の『伝統の源流』
「犠牲の上にある今の私」の続きです。


自分のために犠牲になったたくさんの人たちに、
感謝の気持ちを返さなければいけません。
悟るとは、人を犠牲にしてできるものなのです。

夫婦の関係も同じです。
私が相手を愛するようになったということは、
相手をたくさん苦しめたせいなのです。

愛さなければいけないと悟ったということは、
過去には愛せなかったということです。
愛せなかったということは、相手を苦しめたということです。

星がたくさん付いている将軍が偉いのですか、
何も付いていない(一)兵卒が偉いのですか。

星がたくさん付いているということは、
たくさんの部下を殺したということと同じです。

ですから戦争に勝った将軍は、第一に誰を訪ねますか。
空のように高い位の将軍でも、一番下の兵卒に頭を下げます。
それは、その人たちの死によって、勝利がもたらされたからです。
その星は、彼のものではなく、その人たちのものなのです。


ですから、勝利の栄光は、まず第一に神に帰し、
次にその人たちに全部返さなければいけません。

それを自分や自分の家庭に返したら大変です。
自分や自分の家には、その人たちが返してくれるのです。

皆さんが、色々習った、あるいは悟ったというときには、
自分で悟った、自分で習ったというのではなく、
犠牲になったメンバーによって習うことができた、
ということを忘れてはいけません。

足らないリーダーなのに、ほいほいと待ったのは、
リーダーが好きだからではなく、神の啓示があると思ったからです。

だから、何かを習ったときには、まず神に感謝をし、
メンバーに全部返さなければなりません。
問題児だという人に返さなければいけないのです。


そうしないと、どういうことが起こるでしょうか。

メンバーは皆様を尊敬しませんし、恐る恐る仕えるでしょう。
そういう人を通じては何もできません。

主体と対象の授受作用ができません。
そこには神が運行せず、何も繁殖せず、悪の循環でしかなくなるのです。


例えば、「水を持ってきてください」と言って頼んだとしましょう。
そのリーダーが嫌いなのに、それは命令だから従わなければいけない
という気持ちだったら、喜んで行くでしょうか、顔をしかめて行くでしょうか。

また、コップにごみが付いているのを見て、心の調子が良い時には、
「私のリーダーがこれを飲んだら病気にかかってしまう」
と言って全部ふき取ります。
それを飲んだら体が良くなるでしょうか、良くならないでしょうか。

しかし、命令だからと思って、寂しい心が水に混じって
一緒に入っていたら、いいはずがないですね。
愛を込めた水と心情を込めた水を飲んだらどうでしょうか。
皆様が霊的に明るくなれば、それが分かります。


握手にしても、友達と握手をする場合に、
嫌な人と握手しなければならなくて仕方なく握手する時と、
本当に愛する人と握手する時と、形はみな同じですけれども、内容が違います。

同じように目を見ても、本当に哀れんで見るのと、憎い心で見るのと全然違います。
だから皆様が、本当に愛してメンバーや兄弟に対しているのかということは、
その目を見たら分かるのです。



大なり小なり、元弼先生のご指摘は、
私にもあてはまるようです。

とても耳痛い内容ですが、
頭を下げて聞かなければならないと思います。。。
また、謙遜に受け止めなければならない、
そのように思わざるを得ません。

み言を聞いていながら、
何でこのような発想になるのかな。
そのように思う人がいます。
しかし、私も五十歩百歩ですよね。。。

天の父母様が見つめる観点で、
その人を見つめていけるように、
器をもっともっと広げていかなければと思わされました。






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posted by ten1ko2 at 08:32 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月15日

この時になぜ?! 日韓友好を叫ぶ理由、それは可能なのか 《徳野会長》



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最近の韓国と日本の関係は、
相容れない溝ができているようですが──

私たち家庭連合では祝福結婚によって
多くの韓国人と日本人の家庭が誕生していて、
現在韓国には、7千組、
日本には、2千600組が生活しているといいます。

ちょっと前になりますが、昨年秋に行われた
韓日・日韓家庭特別集会において
徳野会長が語られたみ言の一部を紹介します。


「怨讐を愛する」という精神で、日韓の友好親善一体化の促進に
もっと努力していく必要があります。

この問題については、日本人の立場から話しても限界があり、
韓国人の立場から話しても同様に限界があります。

私自身、次のような実体験があります。


韓国から平和大使たちを迎えたときのことです。
 
(前述のように)私は、真のお父様を中心とする集会での経験から、
日本の歴史的罪の重さを不足ながらも自覚しているつもりです。

それで韓国から来日した平和大使たちの前で、
「日本の歴史的な罪に対して本当に申し訳なく思います」と言って
深々と頭を下げたのです。

彼らは感動し、心の底から喜んでくれました。
「こんな日本人がいる。
やはり文鮮明先生が教育して育てた団体の責任者は違う」と。
 
その場に日本のVIPたちも参加していました。
その人たちは基本的に反共主義者です。裏を返せば、
どちらかといえば考え方が保守的で愛国心の強い方が多いのです。
私が頭を下げる姿を見て、
逆に日本のVIPたちから不信や不満の声が出たのです。
 

この例に見られるごとく、私が日本人の立場で発言し、行動しても
天のみ意にかないません。
また韓国人の立場で発言し、行動したとしても、天のみ意にかなわないのです。

もつべきは「天一国の民」という観点、すなわち天一国の民という
人生観、人間観、世界観です。
日韓の壁を越えたグローバリズム、
真の父母様を中心とした「人類一家族」の視点です。

真の父母様を中心として、私たちはみな兄弟姉妹であり、一つの家族です。

そのような次元に立たない限り、同じ食口、同じ祝福家庭といえども、
日韓、日米といった民族の壁を越えることは簡単ではないと理解しています。

皆様が日本人の対象者やVIPを渉外し、教育していくうえで、
このような視点が必要だと思われます。

『祝福家庭』91号(2019年冬季号)読みどころ紹介
講話・徳野英治会長
「日韓一体、南北統一の架け橋に」
2018年韓日・日韓家庭特別集会のみ言より


掲載されている『祝福家庭』を読むと、お父様やお母様、
ご子女様の証し、分派問題など、
分かりやすく興味深いお話をされています。

最後は、南北統一や現在の反日問題に触れ、
韓日・日韓家庭の使命について、
「韓国文化の宣教師」そして
「真の父母の宣教師」になってほしいと〆られています。


日本と韓国は、今恩讐の思いが噴き出ています。
報道を見ると、どちらかというと韓国の方が多いような。。。

それは、1919年3月1日に行われた独立運動、
ちょうど100周年がもうすぐ近づいているからなのかも知れません。

前にも書いたと思いますが、
やはり、愛国心が強ければ強いほど、
他国に対して、敵対の思いが強くなるような気がします。

路傍伝道をしていると、
私たちを韓国人だと
「お前たちは韓国へ帰れ!」
そのような罵倒を浴びせかけられることがあります。
本当に悲しいです。

当然日本人ですから、日本を愛しています。
しかし、それと同時に韓国も愛しているのです。

お父様は恩讐の国同士の交叉祝福をしてくださいました。
日韓、韓日家庭のカップルが、世界で一番多いのが、
家庭連合のカップルであるに違いありません。

平和を愛する「世界人」を目指している私たちです。
その方たちを中心に、日本と韓国の架け橋になり、
未来志向の関係を築いていけるように、
これからも努力していかなければ、と思うのです。






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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

神様の次に感謝すべき人は?! 誰かの犠牲の上で、今の私たちがある!! 《金元弼先生》



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名医とは、
たくさんの人を
犠牲にしたということが前提になる。



金元弼(ウォンピル)先生の『伝統の源流』
今回は、「犠牲の上にある今の私」です。


皆さん、先生のことを考えてみましょう。

韓国の元老の牧師さんたちが、先生を訪れました。
その時、先生は彼らに、
「実を言えば、あなたと私は敵です。
あなたは私に反対して、韓国から追い出そうとしました」
とお話ししました。


ヤコブには十二人の息子がありましたが、
十一人の兄弟はヨセフを殺そうとして追い出しました。
ところが殺そうとしたヨセフが総理大臣となってから、
彼らはヨセフの所へ来て謝りました。
ヨセフは、自分を殺したのと同じ立場のその兄弟を許しました。

なぜ許すことができたのでしょうか。
それはヨセフが親に侍らなければいけないはずなのに、
彼がいない時に、兄たちが侍ってくれたというところを見て許したのです。


ユダヤ教とかキリスト教が、先生に反対しました。
それと同じです。

しかし、先生はどのようにして愛する心をもたれたのでしょうか。

統一教会をなくそう、滅ぼそうとし、
先生を追い出そうとしたことは、許されるものではないのですが、
6000年の歴史を通じて、ユダヤ教とキリスト教が
神を支えてこなかったならば、どうなっていただろうかと考えるときに、
許すことができるというのです。


ですから自分を中心としないで、あくまでも神を中心としてこそ、
許しの心が出てくるのです。

ただ漠然と、「愛さなければいけない、愛さなければいけない」
というのでは駄目なのです。

「なぜ兄弟を愛さなければいけないのか」
「なぜ人々を愛していかなければいけないのか」
そういう心をもたないと、許しの心をもつことはできないのです。


皆さんが、過去を振り返って
「私はたくさんのことを習い、悟りました」と言えるようになるまでには、
それぐらいたくさんの人を傷つけたお陰だということを忘れてはなりません。

もし、先生が私の代わりにチームを指導したならば、
あのようにしなかったはずなのに、と考えるだろうと思います。
それはいいことです。


これをもっと分かりやすく、印象的にするために、名医の話をしましょう。

ある人が医学大学を卒業しました。
彼はお医者さんになって患者を診るようになり、
学校で習ったとおりに人を診断し、治し始めました。
最初はよく分からないところがあって、学校で習ったとおりにやりました。
ところがかえって効果がなく、患者は非常に苦しみました。
それでもう一つのことを試みましたけれども、また駄目でした。

このようにして彼は、いろいろな経験を積みました。
それから後は、人をよく診断して治すようになったのです。
それで彼は、名医と呼ばれるようになりました。

名医とは、たくさんの人を犠牲にしたということが前提になるのです。
お分かりですか。

名医になった人は、まず誰に感謝しなければいけないのでしょうか。
自分でしょうか、自分を教えた先生でしょうか。
もちろん、そうでしょう。

しかしそれよりも前に、自分のために犠牲になったたくさんの人たちに、
感謝の気持ちを返さなければいけません。
悟るとは、人を犠牲にしてできるものなのです。



とても深いみ言ですね。。。
今、自分の置かれている人間関係において、
何かその人を理解できない状況に直面した時、
まずは、「神様がその人をどう見ているのか」
そのことを先立てていかないといけないな、
そう思わされました。

今も自分の姿を見れば、足りないと思うのですが、
もっと若いときのことを考えると、
「あの時、このように話していれば・・・
こういう風に、講義をしていれば・・・」
そんな悔いが多く出てきます。

ですから、金元弼先生の語られるように、
昔出会った人たちに感謝の念を捧げたいと思いました。





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教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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posted by ten1ko2 at 08:00 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする