先生は何回も起きては
お祈りして、
また寝て、起きて、寝て
という生活をなさるのです。
お祈りして、
また寝て、起きて、寝て
という生活をなさるのです。
☆
真の父母様の公式の祈りは記録されていますが、
私生活の中で、特に寝室での祈りは
どうなのでしょうか。
金元弼(ウォンピル)先生の「伝統の源流」より、
『神に仕える者の祈り』の中から抜粋して紹介します。
☆
先生は、御存じのとおり、ある問題を解決するために、まずお祈りをされます。
先生はすべてを行いながら、
同時にお祈りも兼ねておられるということを分かってほしいと思います。
また、先生は時々過激な運動をしながらお祈りをされると、
お母様からお聞きしました。
お祈りをしようとすると、眠りが来てできないときがあります。
そういうときには、かえって動くことがいいのです。
お祈りといったら、ある所を決めて、
そこでお祈りするのがお祈りだと考えている人がいるかもしれませんけれども、
女の人でしたら、台所で働きながらお祈りすることもできれば、
バスの中でもできるし、どこでもできるのです。
☆
皆さんは、12時に寝て6時に起きるとしたら、
12時から6時までぶっ通して寝ます。
12時に寝て、途中で起きてお祈りするということはなかなかしません。
先生は、
「寝る前神様に、
『私にはまだなさなければならない
復帰の摂理が多くあるにもかかわらず、
これから休まなければなりません。
このような私をお許しください』とお祈りして休む」
とおっしゃいました。
先生はいつでも、「これから寝るんだ」という心では寝られないのです。
また、寝ていても安らかではないのです。
寝ていても、パッと起きてまたお祈りをされます。
そうしていつの間にか寝てしまうのです。
☆
先生は、お祈りしているのに寝ているのです。
疲れておられますから、お祈りしようとすると、
霊界は先生を寝かせてあげるというのです。
子供が勉強していて、疲れて机の上で寝ているのを親が見たらどうしてあげますか。
子供を抱いて、ベッドの上に寝かせてあげます。
そのとき、勉強を熱心にしていて寝てしまった子供を、
ベッドに寝かせる親の心はどんなでしょうか。
「我が子は偉い。立派になるんだ。
だから私が保護してあげなければいけないなあ」
という心が出てくるのです。
神が先生を寝かせてあげるとき、その気持ちはそれと同じなのです。
☆
「これから私は眠る」と思って寝る時には、
ぐっすり眠ることができますけれども、
「寝る時間ではない」と思った時には、とても短い眠りになります。
ですから先生は何回も起きてはお祈りして、
また寝て、起きて、寝てという生活をなさるのです。
それは、「私は寝てはいけない」という心でいっぱいだからです。
ですから先生は寝巻きにすっかり着替えて寝るということがないのです。
上着を脱いで、そのままベッドの上で寝ることがよくあるのです。
☆
神様と真のお父様の信頼関係はいかほどでしょうか。
自分に照らし合わせると、どれくらい神様を中心とした
生活をしてきたか、反省しきりです。
他の側近の証でも、お父様の休まれた後のベッドには
寝られた形跡がなく、祈っておられた跡のくぼみが
ひとつ、いつも残されていたということでした。
何が違うかというと、やはり心情が違うのでしょう。
天の父母様に対するあふれる思いがあるので、
またみ旨に対する切迫したものがあるので、
眠ることができないのでしょう。
真のお母様が、以前もそうだったでしょうが、
お父様の聖和後特に、寝ることができないと
言われているのは、真の父母としての心情でしょうし、
きっとお父様が四六時中臨んでおられるからでもあるでしょう。
父母様が出会われた神様を知った私たちです。
真の父母様の心情と一つとなって、
少しでも一歩一歩、父母様の生活信仰を
相続していくものになっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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