2019年02月11日

信仰から孝情へ 父母に「私は大丈夫です」と言える私たちに?! 《堀副会長》



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天一国7年が明けた先週火曜日、
私たちの教会でも記念礼拝を持ちましたが、
本部教会での
堀正一副会長の記念説教(要旨)をお伝えします。


 記念日の背後にある投入に思いを馳せる

神様は愛する対象を求めて天地創造を始められましたが、
100億年ほどは、物質と物理現象だけの世界でした。
神様は、命の種をつくるための孤独な闘いをなさったのです。

地球上に命が芽生えてだんだんと増えても、生きている≠ニいうだけで、
神様に相対できる人格は宿っておらず、神様の孤独は続きました。

そして、とてつもない年月を経てアダムとエバが誕生しました。

彼らが自らの良心に従って成長し、心情を通わせる中で、
お互いの中に神様の存在を認めるようになります。
宇宙を運行される神様の大いなる愛に気づき、
初めて人間が神様に向き合っていくのです。
そのようになるまで神様は真の愛を投入し続けられました。

しかし堕落によって、神様は喪失の痛みを味わわれます。
その苦痛から神様を解放しようと、蕩減復帰の道を歩まれた真の父母様でした。


受験の合格日、結婚記念日、子供の誕生日…、それら記念日の背後には、
その日を祝うにたる投入が既になされています。
その背景に思いを馳せなければ、「クリスマス」がただのケーキを食べる日≠ニなり、
「バレンタインデー」はチョコレートをあげる日≠ノなってしまいます。

クリスマスは、4000年間流された神様の涙によって
独り子イエス・キリストが誕生された日を記念し、
バレンタインデーは、ローマ帝国時代に殉教した聖バレンチノを記念しているのです。


 「信仰の世界」を卒業して「孝情の世界」に

それでは「真の父母の日」の背後には、どれほどの苦労があったのでしょうか。

ご聖婚当時は、真のお母様のことを「天の独り娘である」と知らなかったがゆえに、
「なぜ、こんな小娘が」などと考えた人もいるでしょう。

お母様は、真のお父様と同じように人の心情が手に取るようにお分かりになります。
私たちは「口に出さなければ大丈夫だ」と思いがちですが、
神様と真の父母様は、天の摂理に対して私たちが「本当なのか」と疑い、
非難の思いを抱くたびに傷つき、痛みを味わってこられたのです。


お母様は私たちの再出発に当たって、「全てを下ろしなさい」とおっしゃいました。

既に全てを捧げてきたつもりでしたが、
最後に私はこれを頑張ってきた≠ニいう執着≠下ろさなければなりません。

これがゆえに天国に入れる≠ニ思う業績を下ろしてこそ、天国に入れるのです。


またこの1年間、お母様に侍り、み言を伺いながら、
「信仰の世界」を卒業して「孝情の世界」に入らないと、
天国に入れないのではないかと感じてきました。

信仰が良い、悪い≠ニいう話ではありません。
神様との関係を結び直す「信仰生活」が、
私たちに必要なことは言うまでもありません。

ただ、孝情で歩む≠アとを理解しないと、お母様の歩みは理解できないのです。

お母様は、神様に近づくために
堕落性を脱ぐ≠ニいう努力をされてきた方ではありません。
神様との一体感の中で、どのような状況でも神様への孝情の一点に立たれ、
右にも左にもぶれずに今日まで来られたのです。


神様の心情を何よりも優先してこられた真の父母様が、
神様に王権を取り戻してさしあげたのが「天の父母様王権即位」です。

神様を中心に主権が立ったので、
いよいよ国民と国土を復帰して天一国を実現する段階に入りました。

天一国経典『天聖経』に「天一国の国民は万民」「国土は地球星」とあるように、
私たちが神氏族メシヤ活動に取り組むことで、その天の願いを果たしていきましょう。


孝進様が走って転ばれたとき、膝から血が出て、鼻血が出ているのにもかかわらず、
心配されるお父様に向かって、
「大丈夫です」と言って立ち上がられたことがあります。

私たちも、神様と真の父母様にご心配をかけることなく、
「2020」までの1年を命懸けで歩んでまいりましょう。


第52回「天の父母様(神様)の日」記念敬礼式
(「天の父母様王権即位」18周年、第60回「真の父母の日」)
天一国7年天暦1月1日(2019年陽暦2/5)午前7時
松濤本部


信仰を卒業して、孝情へ。。。
昨日の日曜礼拝でも教会長が、
「今の時代は、真の父母様の、
心情圏に入らないといけない」
そのようなみ言を語られていました。

義務感、使命感で歩んだり、
み言を知的に理解したり、
そのような時代ではついていくことはできません。

お父様が前面に出ておられた時、
お母様はいつもお父様の傍におられました。
だから、御子女様方は、母の心情を直接受ける機会が
少なかったでしょうし、私たちも、お母様の
深い心情を推し量ることができませんでした。

昨日は御聖誕日でした。
普通は自分の誕生日をお祝いしてもらう、
そのような立場かも知れませんが、
お母様はそういう時ほど、最前線です。

ご苦労しておられるお母様の前に、
孝情の心情を持って歩んでいきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする