浅川先生の霊界シリーズ。
いよいよ地獄編です。
では、どうぞ。
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地獄に行く人
地獄に行く人
人間が地上生活において、一生、自分の心に培った様々な
性格、根性、善い行い、悪い行い、これらのすべてによって、
死後、霊界に行く階層が決まります。
霊界に行って階層が定まってから、他の霊界に引っ越すことはできません。
地上生活において、どのようなことを語り、どのような人間関係を培い、
どのようなものを身につけ、最終的にどのような愛の人間になったかが
死後、霊界に住む階層を決めるのです。
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では、地獄という世界は、どのような人たちが行くようになるのでしょうか。
それは愛のない人たちです。
人を愛さなかった人です。
愛したことは愛しても、自分だけしか愛さなかった人です。
自分の欲望、私利私欲、自分のためだけにしか生きなかった人であり、
人を愛したように見えても、自分のために
相手を利用したにすぎなかった人たちが行くところです。
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自分の欲望のために、人から大切なものを奪った人たちが行く所です。
自分の利益のために他人の命を奪い、他人の体を傷つけた人たちです。
さらには、汗と涙のたまものである土地や財産を奪った人たちです。
たとえ、小さな田畑であったとしても、
田畑は貧しい人の汗と涙のこもった生涯の実りです。
それを私的利害のために簡単に奪っていった人が地獄に行くのです。
ましてや、多くの人たちの血と汗のこもった公共物や
公的なお金を奪った人が行く所です。
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また、言葉で他人を苦しめた人が行く所でもあります。
言葉は時として刃物よりも鋭く、人間の心を傷つけます。
傷つけられた人の体は消滅したとしても、
言葉による傷は、あの世に行っても残るのです。
れっきとした傷害事件です。
言葉で人の心を傷つけ、その人が傷ついたショックのゆえに、
自殺をしたとすれば、言葉で人を死に追いやったことになります。
根も葉もないうわさを流し、陰謀をたくらみ、
自分で自分の命を絶つように追い込んでいくことも、
言葉で人を殺したことになります。
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そして愛を奪った人が行く所が地獄です。
愛を奪うというのは、他人の最愛の娘や妻を、
自分の位置を利用して妾(めかけ)にしたり、
情欲で手籠(てご)めにしたりすることです。
他の人の婚約者、最愛の妻を、私利私欲で奪っていくことです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第三章 地獄とは
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第三章 地獄とは
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神様が創造された、万物、そして人間の生命。
為に生きることによって、生存・繁殖・発展がなされていきます。
しかし、自分中心だと、自分で自分を
滅亡の道に追いやっていくのです。
霊界では原理原則に反する行為をすると、
裁かれざるを得ないということです。
自動的に罪が明らかになるので、
自分の霊人体の状態にふさわしい場所にいかざるを得ない、
それが地獄だといいます。
地上において、裁かれる場合、
一つの蕩減条件を立てたことにもなりますが、
問題は、そうではない時です。
もしも罪が暴かれなければ、地上では裁かれることがありません。
その人は免れたと思っているでしょうが、
霊界に行ったら大変なことになるということです。
☆
さらに言うならば、一番罪が重いのは、
万物や、人の生命を奪うことではなく、
愛を奪い汚す罪だといいます。
不倫などが明らかになれば、
家庭も壊れ、社会的制裁を受けますし、
性犯罪は日本においても厳罰化されるようになりましたが、
合意による男女問題は、法には裁かれることが
なかったりします。
ただし、霊的に見れば、そのような
愛の罪は一番深刻で重い罪だといいます。
☆
この世の中では、目に見える行為につながらなければ
罪に問われません。
しかし、心情蹂躙による罪はもっと大きいということを
あまり考えません。
本当に、霊界を知らないということが
どれだけ命知らずのことでしょうか。
人生を棒に振るだけでなく、
永遠に悔いを残し、地獄で苦しむことになるのです。
知らないがゆえに罪を犯していくので、
多くの人に知らせていかなければならないと思います。
また、つくづく正しい人生を送らなければならない、
そのように思わされてなりません。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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