2019年02月23日

笑顔は「心の花」、幸運を引き寄せる!! 《浅川先生の自叙伝講話》



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浅川先生の自叙伝書写講話から、
愛天愛人愛国の愛人、
人を愛することについてです。



笑顔で愛する

人を愛することは笑顔を振り向けることです。

神様は人間だけに笑顔を与えてくださいました。
どんなにかわいい犬でも、笑うことはできません。

人間だけが笑えるのです。
笑うためには、眉毛が下がり、口が丸くならなければなりません。

犬は口が突き出ていて、おまけに歯は牙となっています。
到底笑うことはできません。
このハンディをしっぽでカバーしているのです。


なぜ、神様は人間だけに笑いを下さったのでしょうか。

それは、隣人や家族を幸福にするためです。

食べるためだけなら、笑いは必要ありません。
現に、犬や猫は笑えないのに食べているではありませんか。
人を幸福にし、自分が幸福になるために、笑顔があるのです。


文鮮明先生は、次のように語っています。

「ほほえみは幸福の根源であり、
 根となるものです」
(『愛天愛人愛国』55ページ)

「いつも笑顔でいなさい。
 笑顔は心の花です」
(同、54ページ)


「微笑が幸福の根である」ということは、笑わなければ幸福になれないということです。
まさに、幸福だから笑うのではなく、「笑う門には福来たる」なのです。


特に女性の笑顔は幸運を引き寄せます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの不朽の名画に「モナリザの微笑み」があります。
絵画の中の絵画といってもいい名画です。
しかし、どんなに絵画技法が天才的であっても、
「モナリザのやぶにらみ」だったら名作にはならなかったでしょう。


さらに、文鮮明先生は女性が幸福になるために、不思議なことを語られています。


「女性は、十種類の笑いを分別して
 笑うことができなければなりません」
(同、55ページ)

「えっ、十種類の笑いってなあに……」と思わず叫んでしまいます。

ただ笑えばいいというものではなく、時と場所と相手によって
笑いを使い分けなくてはならないということなのです。
女性が、笑い時と笑い場所、そして笑う相手を使い分けたら幸せになれるというのです。


例えば、一日の中で、笑い時は何といっても朝です。

一日を四季に例えれば、朝は春に相当します。
春、花や果物の種をまくように、朝、幸福の種をまくのです。
朝の笑顔は幸せの種まき、といっていいでしょう。

では、どこにまくのでしょうか。

ベランダではありません。
玄関です。


夫が仕事に出掛けるときに飛び切りいい笑顔で送り出すのです。
この瞬間、奥さんは気立ての良い女神様になります。
妻の笑顔で、夫は気分良く出掛け、仕事も順調に進み、
お土産を買って帰ってくるかもしれません。

奥さんは笑っただけでプレゼントがもらえるのですから、
これほど投資効果があるものは他にありません。

ところが、ある奥さんは、朝、笑っているにもかかわらず幸福になれませんでした。
夫が玄関から出たあとで笑っていたからです。
夫が出たあと、気分が爽快になるからだそうです。

やはり、笑うにも時があるのです。
夫が転んだ時に笑えば、あざ笑うになります。
けんかの種まきになってしまいます。


あるご主人が家に帰ってみたら、家が冷蔵庫のように冷え切っていたそうです。
冷気が漂っています。

「ただいま」と何度言っても、奥さんから返事がありません。
しかし、玄関に靴があります。
家にいることは間違いありません。

食堂からトン、トンと大根を切る音だけが響いてきます。
食堂に行ってみると、キラリと光る包丁を片手に持って
奥さんがニヤリと笑ったそうです。

これは不気味な笑いです。
ぞっとして、恐ろしくなったご主人は、
体を温めるために家からどこかに出て行ったそうです。


また笑い方も相手によって変えなければなりません。

夫の前では、きゃっきゃと屈託なく笑ってもいいが、
同じ笑い方を姑(しゅうとめ) や舅(しゅうと)の前では
しないほうがいいと、文鮮明先生は教示しています。
品がないと思われかねないからです。

うまく使い分けた笑顔は「心の花」になるのです。

花には蝶(ちょう)が引き寄せられます。
幸運が引き寄せられるのです。
また、ミツバチが来ます。
財運も来るのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第四章】愛天愛人愛国
愛人─人を愛する生活



「笑う門には福来る」ということわざがあります。
悩んでいるから笑えないのではなく、
笑おうとしないだけなのかもしれません。

おかしいから笑うのでなく、
笑うことによって福の神が来る、というのです。

厳しいみ旨を歩んでいる私たちこそが、
そのような者にならなければいけないな。
そう思わされます。




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posted by ten1ko2 at 11:47 | Comment(0) | 浅川先生 自叙伝書写 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする