2019年03月31日

生まれ変わった清心病院、世界のHJマグノリアに! 懇切な真の母の願いとは



190331 hjmagnoria.jpg


清平にある清心病院が、
HJマグノリア国際病院に名称変更しました。

そして、HJマグノリアグローバル医療財団が出発し、
金相均理事長が就任されました。
就任式でのお母様のみ言(抜粋)を紹介します。


愛する指導者の皆さん。
創造本然の世界は、疾病による苦痛のない世界です。

その世界は、天の父母様の子女として生まれた人間が
天寿を全うし、人間と万物がひとつに調和するなかで
喜びと栄光を天の父母様にお返しする、
真の愛が満ちる心情の世界です。

しかし人間始祖の堕落により、疾病による苦痛の
世界の中で、悲しみと涙が絶えない
不幸な生涯を営むようになったのです。



しかし神様は創造本然の「父母」であられるので、
盲人のようなご自身の子女を抱かれるために、
長き6000年の人類歴史の中で、恨み多く曲折の多い
復帰摂理歴史を繰り広げてこられました。

私と私の夫である文鮮明総裁は、
このような神様の夢と願いを早くから知ったので、
万難のなかでも勝利し、
真の父母の位置まで上って来ました。



特に、神様の創造理想である「神様のもとの
人類一家族」の理想を実現するために、
「父なる神様(天の父)」だけでなく、人類歴史の中で
隠された「母なる神様(天の母)」の位相を探し出され、

神様が真なる「天の父母様」の位相を持つことが
できるように不徹昼夜(プルチョルチュヤ、昼夜を問わず尽力すること)
日久月深(イルグウォルシム、待ちわびる気持ちのひとしお切なること)
死生決断、全力投球の人生であり、路程でした。


愛する指導者の皆さん。 私たち人間社会でも
経験するように、母親の耳には
ただ、子供の泣く声だけがよく聞こえます。
母親の目には子供たちの痛みがよく見えます。

幼い子供が痛くて泣けば、母親は子供の泣き声を
聞いて、すぐさま子供のために
渾身の力を込めて走って行きます。

なぜなら母親の全ての神経と全ての関心は、
ひたすら子供たちに向かっているからです。
私たち人間でもそうであるのに、天の父母様、
特に天のお母様はどうなのでしょうか。



このような天の父母様の事情を誰よりも
よく知っているために、私は人類の真の母として
「HJマグノリアグローバル医療財団」をつくり、
疾病による苦痛であえぐ人類を
治癒し、生かそうと思います。

肉身の疾病だけでなく、霊的な疾病まで治癒する
ことのできる、そして創造本然の人間と世界の
本性を研究し、疾病を事前に予防して、
疾病のない健康な人生を営むことのできる
環境をつくることに寄与しようと思います。


HJマグノリアグローバル医療財団 
金相均理事長就任式
天一国7年 天暦2月17日(陽2019.3.23)
HJマグノリア国際病院

創始者特別メッセージ ユン・ヨンホ事務総長 代読



お母様はアメリカに行かれていますので、
事務総長が代わりに代読されたのだと思います。

真の父母様は、霊的な命を与えてくださるのと同時に、
肉的な健康のためにも、
具体的な取り組みをされています。
HJマグノリアグローバル医療財団の出発も
その一つなのではないでしょうか。

その出発の動機は、
親の心情、真の愛からです。
お母様の真の愛に基づく、
一連の歩みに心から感謝いたします。





にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 08:55 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

お祖母ちゃんと孫の物語?! お年寄りを大切に、天国生活の手引き 《浅川先生》



190330 130517.jpg


天国生活といえば、3世代が仲良く暮らすこと。

浅川先生の、幸福を引き寄せる秘訣、
「愛天愛人愛国」のお話です。

神様との生活を「お祖母ちゃんと孫」の話を例題に
話してくださっています。

(以前紹介した講話と同様の例え話が
2か所ほど出てきますが、ご了承ください)

文鮮明先生は、

「三代が一緒に暮らす家庭を勧めています」

(自叙伝、222ページ)

そして、祖父母を愛し、挨拶をすることが、
幸福な家庭の生活内容だと言われます。


「幸福な家庭の生活とは、どのようなものでしょうか。
 ……朝起きれば、お父さんとお母さんも、
 おじいさんのところに行ってあいさつし、
 孫と孫娘もあいさつしなければなりません


(『愛天愛人愛国』、80、81ページ)

どうやら、幸せを引き寄せる生活の秘訣は、
お年寄りを大切にすることにあるようです。

おじいさん、おばあさんは、人生経験が豊富なので、
まさに人生の師なのです。


ところで、年を取っているという意味では、
一番のお年寄りは、神様なのです。
百歳どころか、何千、何万年も前から
ずっといらっしゃる大年寄りなのです。

年寄りを大切にすると幸運を引き寄せることができるとすれば、
一番の年寄りである神様を大切におもてなしすれば、
大きな幸運を引き寄せることができます。


「年を取った人に良い食べ物を差し上げ、
 私は食べなくても、飢えてもよいと思えば、
 その家を神様が、一番年を取った神様が、
 一番年を取った師が、一番年を取った主人が、
 祝福してくれるでしょう」


(『愛天愛人愛国』、81ページ)

年寄りを大切におもてなしするためには、
日常生活で、挨拶を捧げなければなりません。

心を込めた挨拶は、愛の実践といえるのです。
人は誰でも愛する人に丁重に挨拶をし、
愛がなくなれば、それこそ、愛想がなくなります。

 
ある家に孫とおばあちゃんがいたとします。
そこで、おばあちゃんを神様の立場に立ててみましょう。

孫が朝起きて「父ちゃん、母ちゃん、
兄ちゃん、姉ちゃん、おはよう……」と言いました。
でも、同居しているおばあちゃんには一言も挨拶しなかったとします。

おばあちゃんは、とても寂しがるに違いありません。
同じ家にいるのに、無視されたと感じるはずです。

でも、孫が、よちよち歩いて、おばあちゃんの部屋に行き、
「おばあちゃん、おはよう」と挨拶したら、どうでしょうか。
誰よりも早くです。

おばあちゃんはとても喜びます。
「かわいくて良い子だねえ。目に入れても痛くないよ」
と抱きしめてくれるのでしょう。

おばあちゃんの愛が注がれること、それが幸運になるのです。
最初に挨拶を受けた人が一番に愛された人となるからです。

 
それゆえ、文鮮明先生は、

「朝起きれば、最初に神様に
 善なるあいさつをして、出発します」


(『愛天愛人愛国』、46ページ)
と言われるのです。
さらに、文鮮明先生は、

「夫婦が共に、その日の仕事を神様の前に報告して、
 行って仕事を始め、終えて帰ったときも、
 神様の前に報告してから
 御飯を食べるようになっています」


(『愛天愛人愛国』、46ページ)
と言われています。

 
もし、孫が、おばあちゃんに黙って家を出て
遊園地に遊びに行ってしまったらどうでしょうか。

おばあちゃんは孫がいなくなったので、とても心配することでしょう。
おばあちゃんを心配させることは、愛の配慮不足なのです。

孫が、「おばあちゃん、近くの遊園地に行って遊んでくるよ」と言って
家を出ていれば、おばあちゃんは安心するのです。

たとえ、腰痛で一緒に行けなくても、
心は一緒に遊園地にいるのです。
それが、守り≠ノなるのです。

 
それゆえ、家から仕事などで出るときには、神様に
「どこどこに行って、何々をしてきます」と
報告して出るのが良いのです。

これが、幸せを引き寄せる挨拶になるのです。
すると、神様も共にいらっしゃるのです。

「買い物まで報告する必要ないでしょ」
と言われる奥さんもいるかもしれません。
それでも、報告したほうがいいのです。

スーパーで、食品を買おうとしたら、
店員が半額シールを張るかもしれません。

まさに、神様体験です。
神様に報告して家を出れば、私たちはいつでもどこでも、
神様の愛を体験できるのです。


家に帰ってきたら、最初に
「神様、ありがとうございます」と挨拶を捧げるのです。

おばあちゃんも最初に、孫から
「おばあちゃんただいま。遊園地、とても楽しかったよ」
と言われたら、とても喜ぶはずです。

ですから、家に帰ってきて、すぐにテレビを見てはいけません。
家に帰ることができたのは、神様が守ってくれた結果なのです。

当たり前に家に帰ったのではなく、神様に守られて、
何事もなく、帰らさせていただいたのです。

 
そして、就寝前に、孫がおばあちゃんに、
「おやすみなさい。おばあちゃんも一緒にやすんでね」と言ったら、
おばあちゃんはとてもうれしいでしょう。

神様は、夜でも休むことなく働かれますが、
「一緒におやすみください」と言われると、なんだか、うれしくなるはずです。

「私は休むけれど、あんたは神様なんだから、
寝ないで働いてください」などと言われたら、
きっと心が痛むに違いありません。

 
休む前にするべき、とても大切なことがあります。
それが一日の反省です。

文鮮明先生は、

「寝床についても、報告する心で、
 きょうはきのうより良かったのか、
 悪かったのか反省するのです」


(『愛天愛人愛国』、46ページ)と言われています。

神様は一日の目標をきちんと立て、
夜には、その計画どおりにできたかを反省して、
前進することを願われているのです。
反省なくして成長はありません。

人生で一番大切なのは、きょうという時間です。
そのため、朝、神様に挨拶とともに、目標と計画を誓って出発し、
就寝前に、反省して休むのです。
そして、明日という新しい人生の備えをするのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸せを引き寄せる〜「愛天愛人愛国」家庭生活講座』より)
第一章 天を愛する生活
あいさつ


『神様は大年寄り』
とてもわかりやすい例えですね。

真の父母様が三世代で同居する重要性を言われるのも、
このことからなのだと思います。

我が家は両親が他界して、
妻の父親も聖和しています。
また、妻の実家も遠方のため
あまり子供たちも、
お祖母ちゃんと過ごす機会がありません。

そういった意味では、
教会で年配の方たちに対して、
貴く思う心掛けをしながら、
子供たちに後ろ姿を見せるようにしなければ、
そのように思わされました。

また、一日の反省も重要ですよね。
しっかり心掛けていきたいです。




にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)




posted by ten1ko2 at 08:19 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月29日

大地を踏んで、お母様を感じたことがありますか?! 雪山で出会った父母 《元弼先生》



190329.jpg


天は父を象徴し、地は母を象徴する



金元弼(キム ウォンピル)先生の講話。
今日は、「先生のような生活をするために」です。


私が巡回していたときのことでした。
「どうしたら、先生のような生活ができるのだろうか」
という考えで、胸がいっぱいでした。

韓国で、非常に奥深く高い山を
冬に越えなければならなかったことがありました。
誰も人がいないのに、雪が真っ白く降る中を一人で歩いていました。

その時、天は父を象徴し、地は母を象徴する
という原理のみ言を、ふと思い出しました。

私は今この地を踏んでいるから、
お母様の体を踏んでいるのだと考えました。
そう思うと“痛い”のです。

それで、そおっと歩いたのです。
そしたら本当に体を踏んでいるような気持ちがしてくるのです。

一歩を踏む時に、「私は親のために孝行します、
忠節を尽くします、貞節を守ります」という心持ちです。

白い雪の上に誓いながら行くのです。
雪の上に字を一つ書いて、また書いて、
忠なら忠を、孝なら孝を足で書きながら歩みます。
このことが、私には非常に強く心に残りました。


韓国には、本当に親孝行な子供がいました。

親がなくなって三年間、毎日のごとく親の霊魂を慰めるために、
墓の所まで行ってお祈りをしたのです。
それで墓まで通った道と祈った場所には、芝生が生えませんでした。

私たちが神に、真の父母にそのように心を尽くして侍らないならば、
「私は親にさえもこんなにしたのに、
あなたたちは真の父母と神が分かっていながら、
なぜできなかったのですか」と問われることになるでしょう。


先生は神に侍るに当たり、どのようにされたのでしょうか。

世の中には、国のために忠義を尽くした人たちがたくさんいます。
その人たちが「あなたには及びもしません」
という先生になるために、
どういう道を歩まなければならなかったのでしょうか。

神の国を建設するに当たっても、国のために、世界のために尽くした以上に、
神の国のために、神の世界をつくるために
心を尽くさなければならないのが、先生の基準なのです。

もしそうしなければ、イエス様、お釈迦様、マホメット、
いろんな聖人あるいは神のために尽くした王様、
忠節を尽くした親孝行者たちに先生は訴えられるのです。

ですから、国のために尽くした最高の人は誰だろうといつも考えながら、
この国をそれ以上に愛するという条件をお立てになるのです。


そこで先生が360軒を訪問するに当たって私に教えてくださったことは、
その360軒のために尽くした人々がおり、
先祖たちがいたのだから、その人たち以上の心で、
その区域を愛し真心を尽くしていかなければならないということでした。

例えば、熱心なイスラム教徒がいるとしましょう。
その人以上に神を愛したとするならば、
イスラム教の先祖の霊たちが私を助けてくれるということなのです。


『お母様の体を踏んでいるのだ』
先日、同じような証しを紹介しましたが(↗)
雪の山道で思われたことだったんですね。。。

金元弼の証しは、孝情の証しです。
孝情の限りを尽くしたとき、
父母の情に出会えるのかもしれません。

お父様に近づきたい、
父母様と一つになりたい、
その純粋な心情を相続したいです。

実の親以上に真の父母様に侍る。
それを、霊界にいる両親や先祖も願っていることでしょう。
地上では真の父母様の価値をわかりませんでしたが、
霊界に行ったら、どれだけ貴いお方なのか、
そのことをはっきりと知ったに違いありません。

神様に侍る基準を
聖人義人たちに照らし合わせて歩まれるお父様。
お母様もまさにそのような基準で歩んでおられます。

季節も春を迎えましたが、
摂理的にも春の絶頂期を迎えています。
自分の本心に負債なき歩みをすること。
悔いなき歩みをしていきたいと思うのです。






にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 09:03 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする