金元弼(キムウォンピル)先生のみ言、
続編です。
☆
先生は呼吸しても、初めの呼吸は神の呼吸であり、
朝起きる第一声を神から始めるのです。
きょうみ旨のために出発するに当たって、
この第一歩を誰のために歩むのですか。
私たちにあっては、第一歩をお父様、
第二歩をお母様のために歩むのです。
先生は第一歩を神、全部を神というように、
神を初めとして出発するというわけです。
「お父様」、「お母様」と私たちは口癖のように言っています。
けれども神が願ってきた心情で眺めた場合、私たちが唱える「お父様」と
神が願ってきた「お父様」とは相当の差があるのです。
☆
牢屋においてさえも先生を待っている青年がいるように、
先生が行かれる道は神が摂理されました。
先生の行く道を神はどうして準備しなければならないのでしょうか。
その内容がどこにあるのだろうかということを考えながら、
先生を研究してくださるようにお願いします。
正しい心情でもって、先生をよく正しく見つめることができましたら、
短い期間であっても、十年間共についてきた人よりも
短期間のうちに、先生を推し量ることができると思います。
☆
普通の人たちは何の気なく歩いています。
しかし誰も知らない神との時間をもつという心情で一歩を歩むのです。
こういう心情は世界に誰ももっていないだろうと。
皆さんの歩き方一つさえも意義深いものがあると思います。
天はお父様を象徴し、地はお母様を象徴するといつも言われますが、
その実感がしないことがあると思います。
実感するためには、この地はお母様であるという心情でこれを踏んでいく場合、
何の気もなくお母様を踏んだら痛いでしょう。
痛くないようにするためにはどうしたらいいのか。
その心情で歩く場合に皆さんに与えられる心情と、
何の気もなく歩く心情とは全然違うのです。
☆
『この地はお母様であるという心情でこれを踏んでいく場合、
何の気もなくお母様を踏んだら痛いでしょう』
若いころ、万物復帰をしている時、
大きく勝利した姉妹の証しが、
まさにこのみ言と全く同じ証しでした。
その姉妹は、この元弼先生を知っていたのではなく、
本人自身が、実際に歩みながら、
実感していったのだと思います。
一日24時間というのは、万人共通です。
しかし、その時間をどう過ごすのか、
それは、本人次第です。
真の父母様は、いつも天の父母様を求めて、
生活してこられました。
そして、真のお母様は、お父様を思い、
いつも共に生活しておられるのです。
「私の責任は、真の父母様とひとつになること」
もっともっと、天の父母様を慕い、
父母様を慕い求めて、
歩んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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