2019年04月27日

約束を守るチャンピオン! 裏切られても守り続ける理由・・・ 《金元弼先生 約束2》 



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金元弼先生の
約束に関してのお話、続編です。。。


人間が約束を守らなくても、神は永遠に守りますから、
人は代わっても神の理想の実現は可能だということが分かります。

ですから、ある面から見れば、神の6000年の人類復帰摂理は、
神が人間との最初の約束を守り通しているという歴史にもなるわけです。
そういう神の道を先生も歩まれるのです。


堕落したゆえに、私たちが約束する時は、私と相手のほかに、
神とサタンが一緒にいることを忘れないでほしいのです。

メンバーたちがこの道に入って、先生の前に約束するとしましょう。
そこには必ず神もいれば、サタンもいるわけです。
ところが、先生と私たちの約束は永遠の約束です。
ただこの世にいる時だけ一緒になりましょうという約束ではありません。


時々私たちは、先生の約束を破ることがあります。
先生の前で神に誓った霊能者たちは、その約束を忘れました。
ところが、先生はそういった方に対しても、約束を破棄しませんでした。

先生との約束を破ったのをよく御存じでありながら、
先生は相変わらずその人のためにお祈りし、約束を守られました。
さらに約束を守らないばかりでなく、かえって反対したとしても、
先生はその人との約束を守りました。

そうなった場合、その人を代えても、ほかの人を立てて、
先生との約束を守らせていくのです。


私たちは、相手が約束を守らないと
「あなたとは絶交します」と宣言して別れます。
国際関係もそうなって戦争が起こるのです。

神と人間との間、あるいは先生と私たちの間において、
もし神がそして先生がそうなさるならば、私たちはどうなるのでしょうか。
そこでは永遠も理想も考えることができないでしょう。


リーダーと教会員との間において、
リーダーが約束を守らないことがたびたびあった時に、
教会員はどうしたらいいのですか。

一つ私たちが忘れてはいけないことは、相手が約束を守らなくても、
こちらが守ったならば、前よりもっといい相手が必ず出てくるということです。
そのことに対して、確信をもってほしいのです。

教会員とリーダーとの間で約束したにもかかわらず、
教会員は守り、リーダーが守ってくれなかったという時に、
その後もその教会員が約束を守っていくならば、
もっと高い次元でそれを補ってくれる主体者が、必ず出てくるということです。
もっといいリーダーが出てくるということです。

メンバーが約束を守らない時には、
前よりもっといい教会員が現れるということです。
それはなぜでしょうか。

相手が約束を守らない時には、こちらも守りたくないのです。
しかし、死んでも守りたくないのを守ることによって、
自己の限界を超えるからなのです。



元弼先生のみ言を拝読しながら、
お父様が興南解放の時のことを思いました。

愛する家族の元を訪れたのではなく、
平壌にいる食口たち、
一度、お父様のところに来た人たちに、
会いに行かれたお父様でした。

しかも、40日間訪ねて回り、
戦乱が激しくなった状況で、
留まることができずに、
南に避難されたお父様でした。
すなわち、ご家族の元を
訪れることができなかったのです。。。

全てを神様中心で捉えていかれたお父様は、
その人たちがすでに心情が離れていても、
一度出会った因縁を貴く思い、
約束を守っていかれたお父様だったのです。

人によっては、
簡単に約束を破ってしまう人もいます。
そういう人に対しては、なかなか
信頼をおきにくくなってしまいますが、
お父様の観点からすれば、
その人がどうなのかが問題ではなく、
私が約束を絶対視するか否か、
そのことが重要なのだと思います。

やはり、神様の心情圏に立って、
物事を見つめていかないといけないな、
改めても感じさせられます。




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全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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posted by ten1ko2 at 07:29 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月26日

世界に続け! 真のお母様が褒めたアフリカ宣教師親子の証 《ご聖婚記念式のみ言》



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真の父母様のご聖婚記念式で語られた
お母様のみ言(要約)を紹介いたします。


天の摂理の春を迎え、季節的にも春を迎えたこの日。
皆さんはどんな希望を抱いて、この場に来ましたか。

半世紀をずっと越え、聖婚59周年を
迎えたこの日、振り返ってみると感慨無量です。
まるでボタンを正さなければならないのに、
順序が変わってしまったような摂理を再び解いて、
正しく合わせるまで、50年の歳月がかかりました。

1943年に独り娘が誕生しました。
奇跡のような出来事です。

お父様は独り子の立場で、
天の前に絶対的に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 
死地のような以北に行きなさいと言われた時に
従順に従いました。

私は以北にいました。6歳でした。
天は私を保護して下さったのです。
お父様も興南監獄から解放され、
韓国に下って来られました。

お父様がされるべき事は、イエス様が
「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多く
あるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」
と言われた、そのみ言を見つけなければなりません。
それで原理原本を作るようになりました。

そしてお父様は独り子として、独り娘に出会うまでは
信徒たちを探さなければなりません。
そのことをなさいましたか。できませんでしたか。

私自身もまた、摂理を知るようになります。
『私が決心しなければ、私が前に出なければ、
天の父母様の夢を叶えてあげることはできない!』
若かったけれども決心しました。

私が歩んできた50年の歳月は、
忍耐し、待ち焦がれる時間でした。

皆さんはよく知らないでしょう。
先ほど、間違って掛けられたボタンを解いて、
再び合わせるまでに50年がかかったと言いました。

天がキリスト教基盤を通して、世界を
懐に抱こうとされるため、真の父母として
間違った方向に進むアメリカを抱きました。

4年前にACLC(アメリカ聖職者会議)の集会で、
「私が独り娘です!共にみ旨を成そう」と宣布しました。
その時たくさんの牧師の反応はこのようなものでした。

「なぜこの当然な事実に気づかなかったのか。」
「なぜ今になって悟ったのか。」と。

2018年にはイスラム国家であるセネガルで
私が独り娘だと宣布した時、皆が歓迎しました。
宗教団体長はこのように言いました。
「イスラムは独り娘を歓迎します」と。
私の息子になると言いました。今年11月には、
国家的レベルの祝福式をすると決心しました。

2019年は実に忙しい年です。世界各地で私を迎え
国家レベルで祝福行事をすると言います。
韓国はどうですか?自信がありますか?

摂理の春だと言いました。時を逃してはいけません。
これまで私たちが津々浦々に種を蒔いたので、
刈り取ってこなければなりませんか。
これ以上待つことはできません。
必ず、必ず、勝利しなければなりません。

1975年にアメリカを中心に世界宣教師を送りました。
アフリカで2年前に、40年以上宣教活動をしていた、
父親が聖和しました。その息子に父親が現れて
「真のお母様をあなたが助けなさい!」と、
そのようにお願いしたと言います。

母親と弟がひとつになって、誰からの助けも借りずに、
ファンダレイジングをして、努力して
公的な道を行っています。
これが祝福を受けた家庭の姿とならなければなりません。

天寶苑に登載された人々はたくさんいます。
神様の創造が永遠性を持つので、
一代で終わってはいけないということです。
二代、三代が独り娘、真のお母様とひとつとなって、
永遠に変わらない忠臣家門と
ならなければならいというお話がしたいのです。

皆さんの責任は、皆さんが完遂し勝利
しなければなりません。それもこの瞬間、
地上に独り娘、真の母がいる間に認められる、
印を受けた、そのような祝福家庭が
たくさん出てくるよう祝願します。



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天地人真の父母様御聖婚59周年記念式 真の父母様のみ言
天一国7年天暦3月16日(2019.4.20)
HJ天宙天寶修錬苑 大聖殿
(文責:ten1ko2)
下にみ言の詳細を掲載します


今年は、お母様が紹介しておられるように、
セネガルを始め、複数の国で、
国家的な祝福が行われると聞いています。

いよいよ摂理の春がやってきました!

一度、坂道を転がった球は、戻すことができないように、
この勢いは、戻ることはありません。
そこにさらに勢いを加えられるかどうかは、
私たちにかかっているのではないでしょうか。

アフリカの米国人宣教師のお父さんが聖和され、
息子に夢で現れた、という証しをきいて思いました。
み旨に頑張っておられた先輩たちは、
みんな私たちに語っているのではないでしょうか。
「真のお母様をあなたが助けなさい!」と。





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〈天地人真の父母様御聖婚59周年記念式のみ言〉

天の摂理の春を迎え、季節的にも春を迎えたこの日。皆さんはどんな希望を抱いて、この場に来ましたか。振り返ってみると半世紀をずっと越え、聖婚59周年を迎えたこの日、振り返ってみると感慨無量です。まるでボタンを正さなければならないのに、順序が変わってしまった摂理を再び解いて、正しく合わせるまで、50年の歳月がかかりました。

神様は御自身の夢があって、御自身のかたちに似せて天地万物を創造され、人間始祖となるべき男性と女性を創造しました。人間には成長期間をくださり、責任をくださいました。その責任は絶対的に創造主・神様とひとつになった立場で、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の場で神様だけを見て成長しなければなりませんでした。ですから人間始祖として天の父母様の夢を叶えて差し上げる勝利した先祖の場で出発しなければなりませんでした。
しかしそのようになれなかったことを私たちは知っています。今日の堕落した人類がその結果です。本心は善に向かい、天に向かって行こうと努力していますが、全世界的に広がってきた各宗教の形態を見ても、その本質が天と100%連結されているとは言えません。人間中心に出発したのは事実です。しかし天は永遠性を持って創造されたので、無知な人間たちを教育することのできる手段として多くの宗教を許諾されました。そこに中心宗教として天の父母様は選民という民族を立てて、個人から国家的な基盤が形成される時まで、すべての蕩減条件を立てて、その場に出て行くことのできる環境となる時を待たれながら、耐えて来られました。
私たちは聖書を通して理解できないたくさんの内容を知っています。そのすべてを蕩減する場で独り子イエス・キリストを送ってくださいました。4000年という長い歳月を通して、天はいまや希望を見ることのできる環境をつくってくださったのですが、人間がまた天を悲しませました。イエス様は十字架で亡くなられる状況の中で天国のかぎを誰に預けられましたか? ペテロに預けられました。それは地上で完成しなければならないということです。イエス様は「再び来る」と言われ、再び来て「小羊の婚宴」をするというのです。「再び来る」と言われたので、再び来られるそのひと日を待つ信徒たちが全世界的に増えました。しかし、「再び来る」と言われたメシヤを、いつ、どのように、迎えることができるのかという自信はありませんでした。
この世のキリスト教徒たちは雲に乗って来るメシヤを待ちますが、韓国のこの神霊な団体はどの国よりも強烈な神霊と真理で肉身をもって来られるメシヤを待ちます。それで1943年に独り娘が誕生しました。奇跡のような出来事です。キリスト教徒たちが必死に見つけるべき、独り娘、神様の娘として誕生しましたが、環境は備わっていませんでした。当時韓国は、1945年に解放され、1950年に韓国動乱が起こって慌ただしい時でした。しかし創造主は御自身が6000年を経て誕生させた娘に対して成長期間、時間を与えなければなりませんでした。南北が分かれて、民主と共産で以北はひとつの体制で南下する準備がすべてできているのに、韓国は未だに安定していない、そんな状態の時、私は以北にいました。6歳でした。しかし天は私が南下できるように協助してくださいました。
韓国にいらっしゃったお父様には、以北に行くようにされました。お父様は独り子の立場で、出て行くことのできる責任を果たさなければなりません。天の前に絶対的に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従! 死地のような以北に行きなさいと言われた時に従順に従いました。それを知らなければなりません。独り娘が自分の意思で決定をする時まで天は待って下さらなければなりません。神様の創造の原則がそうです。ですからこの危険な状況で、天は私を保護して下さったのです。奇跡のように国連の16カ国が動員され、韓国の民主主義を守ってくれました。
その時、お父様も興南監獄から解放され、韓国に下って来られました。お父様がされるべき事は、イエス様が「わたしには、あなたがたに言うべきことがまだ多くあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない」と言われた、そのみ言を見つけなければなりません。それで原理原本を作るようになりました。そしてお父様は独り子として、独り娘に出会うまでは信徒たちを探さなければなりません。そのことをなさいましたか。できませんでしたか。
本来、堕落する前のアダムとエバは、神様のすべての事情を知り、神様と通じていました。つまり、私自身もまた、摂理を知るようになります。『私が決心しなければ、私が前に出なければ、天の父母様の夢を叶えてあげることはできない!』若かったけれども決心しました。
私が歩んできた50年の歳月は忍耐し、待ち焦がれる時間でした。皆さんはよく知らないでしょう。先ほど私が比喩をしました。間違って掛けられたボタンを解いて、再び合わせるまでに50年がかかったと言いました。キリスト教基盤を通して、天が世界を懐に抱こうとされたので、真の父母であるため間違った方向に進むアメリカを抱きました。特に4年前にACLC(アメリカ聖職者会議)牧師たちの集会で、私が「私が独り娘です!私と共にみ旨を成そう」と宣布しました。その時たくさんの牧師が「なぜ私たちはこの当然な事実に気づくこともできなかったのか。」「なぜ今になって悟ったのか。」と、彼らの反応はこのようなものでした。

特に2018年にはイスラム国家であるセネガルで私が独り娘だと宣布した時、皆が歓迎しました。彼らの宗教団体長はこのように言いました。「イスラムは独り娘を歓迎します」と。それで私の息子になると言いました。今年11月には、国家的レベルの祝福式をすると決心しました。2019年は実に忙しい年です。世界各地で私を迎えて、国家レベルで祝福行事をすると言います。そうです。韓国はどうですか?韓国は自信がありますか?
摂理の春だと言いました。私たちは時を逃してはいけません。これまで私たちが不足ながらも津々浦々に種を蒔いたので、刈り取ってこなければなりませんか。ただ放っておくべきですか。キリスト教圏で、世界で、この独り娘、真の母を歓迎するのに、中心国家になるべきこの神統一韓国が責任を果たせなくてもよいのでしょうか? これ以上待つことはできません。必ず、必ず、勝利しなければなりません。
1975年にアメリカを中心に世界宣教師を送りました。アフリカ大陸ではアメリカの宣教師たちが大勢活動し始めました。2年前に、40年以上宣教活動をしていた、父親が聖和しました。しかしその息子に父親が現れて「真のお母様をあなたが助けなさい!」と、そのようにお願いしたと言います。この息子には母親と弟がいます。それで母親と共に話をしながら、その母親と弟がひとつになって、誰からの助けも借りずに、ファンダレイジングをして、努力して公的な道を行っています。これが祝福を受けた家庭の姿とならなければなりません。
天寶苑に登載された人々はたくさんいます。神様の創造が永遠性を持つので、一代で終わってはいけないということです。二代、三代が独り娘、真のお母様とひとつとなって、永遠に変わらない忠臣家門とならなければならいというお話がしたいのです。
それぞれ皆さんの責任は、皆さんが完遂し勝利しなければなりません。それもこの瞬間、地上に独り娘、真の母がいる間に認められる、印を受けた、そのような祝福家庭がたくさん出てくるよう祝願します。

天地人真の父母様御聖婚59周年記念式 真の父母様のみ言
天一国7年天暦3月16日(2019.4.20)
HJ天宙天寶修錬苑 大聖殿



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2019年04月25日

神様の恨は、どうしたら解くことができるか?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ(イ ヨハン)先生の説教、
「神の苦痛」の最終話。
『あまりに悲しく恨めしい神』です。


時は来たのに、私たちの感情はどうでしょうか。

最近になって私は生活感情ということをいつも考えています。

皆さんが苦労にぶつかるとき、自分の生活感情が天のお父様を心配するのか、
自分の苦労を恨めしく思うのかを考えてみなければいけません。

失望するような所に行って、父を心配すれば救いを受けます。
不思議なことです。
失望するようなところに行って天のお父様を心配すると、
天が私を慰めてくれます。
私に力をくれます。

苦痛と苦痛がぶつかり合えば愛になり、
苦痛と苦痛がぶつかり合えば生命になり、力になるのです。

これは、受けた苦痛は私の生活圏内の苦痛だけれど、
主の苦痛と思い、天の苦痛と思えば、
能力が与えられ、力が出るということです。
そのような体験をしてみてください。

 
私たちは子女として復活しなければならないのですが、
それは神の痛みを私たちがどのように引き受け、
消化することができるかということにかかっています。

悲しみと惨めさにたくさんぶつかった人は、
むやみに自分を現すことができないように、神も現れることができません。
それで神が隠れていらっしゃるというのです。

あまりに悲しく恨めしい神は、簡単に現れることができません。
神が神らしく現れることができません。
それゆえ神はもちろんのこと、霊界に行った殉教者たちを
まず再臨させなければならないということを、最近になってとても感じます。

 
殉教者たちは、この地上に体をもって生まれ、惨めに死んでいきました。
その恨みが地上に残っています。

それで私たちもその人たちが殉教した心を抱いて生きるならば、
その人たちが来て、まず私たちを証しようとします。

その次に、殉教者たちを動員させることのできる子女を通して、
神の恨みを解くことができます。

私たちが神の事情を知る前に、まず苦労した殉教者の恨みを
解くことができる者になろうというのです。

 
ですから、私たちが受けるすべての苦労を天の苦労と連結させながら、
神を探す道で、過ちがあってはなりません。
苦労を通して、私たちはよく失敗します。
これをよく知っておいてください。

これから皆さんが受けるであろうすべての苦痛が、果たして
「私に福を持ってきた。本当に私の信仰に秘密を持ってきた」
と言えるほど、益を残すのか、損をするのかは自分の責任です。

私に責任があることを肝に銘じて、
これから天の悲しみをひとときも忘れてはならず、
天が今日の現実を見られながら苦痛の十字架を背負われた
創造主であるということを忘れてはなりません。

一緒に祈祷しましょう。


   〈祈祷〉

苦痛がどうしてきたのか、人間の苦痛がどうして生じたのか、
父母であられる天を失ってしまったために生じたことを全く知らずに、
人間は本来そうあるものなのだと思い込んでいましたが、
今に至って、天を悲しませたために
人間も悲しくなったということを知るようになりました。

父母を失った子女だということを私たちは知りました。
愛を受けるべき父母を失った私たちに、
喜びがあるはずがないことがみ言を通して分かりました。

しかし私たちの感情の中にはいまだに、
自分を中心とした悲しみはあっても、
お父様をお慰めできる余裕がありません。

私たちには、自分の個人的事情を中心とした愛着心はあっても、
お父様の願いを中心とした愛着心がないことをよく知っております。

今の時代は子女の時代であり、
この地上にアペルを現してカイン側を屈服させる時であり、
カイン側を完全にお父様のものとして一つにしようという時なのに、
この時に地上にお父様の心を引き受けることのできる人がいないために、
神が神として現れえなかった歴史を知っています。

あまりにせつなくて石枕の前に一度現れ、
またイエス様を通して現れようとされましたが、結局、
主もこの地上に来て倒れてしまわれたことを知っております。

今日まで神が神としてこの地上に現れることのできなかった理由も、
子女のゆえであったことを知りました。

今や子女が子女らしくなるときに、神も父母らしく現れ、
私たちの時代に来て初めて歴史になかった
栄光と権勢が現れるであろうということも知りました。

私たちが行く道に苦痛の路程が
いまだにたくさん残っていることを知っています。

個人的な、あるいは血統的な、民族的な苦痛を通して、
神がこの地上に実現させなければならないお父様の願いを果たしながら、
地上に実現された誇らしい結果を通して、お父様に喜びが戻るその日こそ、
アダムによって受けられたお父様の悲しみがなくなることと思います。

私たちがこのように教会を始めながら、
今日最初のみ言として神の十字架を考えたことは、
子女になった立場で、真の父母の悲しみを
ひとときも忘れることができない教会として、
真の父母の悲しみを知る教会、
真の父母の悲しみを解いてさしあげるこの「修練所教会」として、
どこよりも神の事情を知る教会として、
また民族の悲しみをあがなう教会として、
またこの場は多くの人が自分の問題と重荷を背負ってきて解決していく場所ですが、
まずお父様の事情を知らずしてはそうなりえないことを知りました。

お父様の苦痛を、私たち各自がひとときも忘れえない
子女になろうというみ言を語りましたので、
お父様、このみ言が本当にあなたのみ言であるなら、
私たち各自がひとときも忘れてはならないのです。

このみ言によって、子女らしい心情で、
私たちがこれから受けるすべての苦痛を通して、
孝という名を残すことができる路程にならなければならないと自覚しました。

お父様、今日から始まるこの教会に共にいてください。
真の父母のみ名によりお祈りいたします。
アーメン。

1977年7月10日(日)韓国・中央修練所
説教、中央修練所教会、創立礼拝
「神の苦痛」より


最後の祈祷部分は長くなるから載せるか迷いましたが、
心情的ですし、心にしみてくるので、
掲載させていただきました。

昨日、浅川先生の書写講話を映像で見ましたが、
神様は目には見えないお方ではあるけれど、
神様の創造された自然万物を通して、
私たちに語り掛けておられるのだ・・・
そのことを強く訴えておられました。

私が苦痛を受けているとき、
苦労の最中にあったとしても、
その背後にそれ以上に苦痛を受けられた、
親なる神様がおられるということを、
はっきりと意識しながら、
神様とともに乗り越えていく、
そのような者になっていきたいと思わされます。

ヨハネ先生、ありがとうございました。




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教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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posted by ten1ko2 at 07:22 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする