2019年04月24日

10人に8人が地獄行き?! 三重苦、地獄でできないこと 《浅川先生霊界シリーズ》



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歯痛を経験したことがありますか?
我慢できないような痛み、
それが永遠に続くとしたら──

浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、『地獄に落ちるとできないこと』です。


地獄に落ちると三つのことができないといいます。

一つは、苦しみがどんなに激しくても、
その苦しみを減らすことはできません。

普通、歯が痛くなれば、とりあえず薬局に行って、
痛み止めの薬で痛みを止めてから、後日、歯医者で治療をしたりします。

しかし、地獄に歯医者がいるでしょうか。
痛み止めの薬があるでしょうか。
歯が痛いならもっと痛くなって、
痛みを止めることができない世界が地獄だというのです。

地獄には病院がありません。
医者も看護師もいないのです。

「痛い、痛い」と言ったら、その痛い部分を、
ますます痛くさせて笑っている人間はいたとしても、
痛みを止めてくれる人や、
憐憫(れんびん)の情を施す人などいないのです。

したがって、地獄に落ちた人が第一にできないことは、
「痛みを減らせない」ということです。


次に、「上がれない」ということです。

少し上の階層にも上がれません。
どんなに上がろうとしても、上がれないのです。
逃れることはできません。


地獄に落ちた人が、
「なぜ、おれはこんなひどい霊界に来たのか」
と考えるようになり、地上で行った自分の悪行が
原因かもしれないと思うようになっても、
地上で犯した罪は償うことができません。

なぜなら肉体がないからです。

三つ目のできないことは
「償うことができない」ということです。


苦しみを減らせない、上がれない、償うこともできないのが地獄です。
自力では脱出不可能な世界が地獄です。

ある霊能者は、私たちの先祖のうち、
十人に八人は地獄に落ちている」と言っています。

地獄に落ちた苦しい先祖が多ければ多いほど、
鏡に映るようにあなたの家庭に反映する
」と言っています。

家庭に起こる様々な病気や夫婦の不和というものも、
多くの先祖の苦しみが背後にあるためです。


浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第三章 地獄とは



長い年月、痛み続け、苦しみ続ける地獄・・・
その思いを後孫にわかってほしいから、
同じような苦痛を与えざるを得ない。。。

私の家系における、苦しみ、痛みは、
先祖の悲痛な叫びなのでしょう。

そのことを思ったら、
「先祖のせいでこのようになっている」
そう思うのではなく、
「先祖が苦しんでいるから、解放してあげたい」
そのような親心をもって、
先祖解放の道を行くことがどれだけ貴重なことでしょうか。

地獄の項目は
いよいよ残り一回となります。。。



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posted by ten1ko2 at 09:48 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月23日

「不安」は根拠のない思い込み、しかし「心の問題」に発展?! 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生の
「氏族伝道の心理学」より、
心の病の張本人−「不安」と「怒り」を紹介します。


心の病の背景にある、大きなものが「不安」です。
私たちは、不安になると、物事を客観的に見ることができなくなります。
また、不安になると、合理的・合目的的に行動できなくなります。

不安が小さくなると、客観的に見られるようになり、
合理的な行動ができるようになってきます。

ですから、私たちの中にある不安が、
様々な心の問題を引き起こしている張本人だと言えるのです。


さらに、不安が問題なのは、「怒り」を引き起こすことです。

不安が大きくなると、だんだんイライラしていきます。
そして、そのイライラが臨界量に達すると、
誰かに怒りをぶつけるようになります。

そして、怒りをぶつけたあとは、
嫌な気持ちになって、落ち込んでしまいます。

 
この「不安」と「怒り」が様々な問題を引き起こしてくるのです。
ですから、心の問題を解決しようと思えば、
この不安と怒りについてよく知る必要があります。

では、不安と怒りはどのようなものなのでしょうか。
そして、不安と怒りは、なぜ起こるのでしょうか。
さらに、不安と怒りを小さくするには、どのようにしたらよいのでしょうか。


まず、不安とは何かを考えてみましょう。

不安は、心の問題や病気の大きな要因になります。
不安自体は、堕落前から存在していたものです。
『原理講論』の中には、次のような記述があります。

「エバはルーシェルから、創造目的に背いた
 ということに対する良心の呵責からくる恐怖心を受けた」

という一文です。

私たちは、神様から良心を与えられています。
その良心に背くとき、不安を感じるようになるのです。

不安とは、
「何か悪いことが起こるような気がして落ち着かない状態」を指します。

良心は、理性よりも先に善悪を判断し、警告を与えてくれます。
ですから、本来、不安自体は、
私たちを正しい道へと導いてくれるための警鐘なのです。


しかし、堕落により、心の知情意のバランスを崩すとともに、
環境が悪なるものとなってしまったため、
不安は良心作用として働くばかりでなく、
変質して心を蝕(むしば)むようになってしまいました。

ですから私は、本来神様から与えられた良心作用による不安とは区別して、
この不安を「何か悪いことが起こるのではないか、
という根拠のない思い込み」と定義しています。

私たちの心の問題を引き起こす不安は、根拠がない思い込みなのです。
根拠があるものであれば、その根拠を客観的に見て、
合理的に解決していけばいいのです。


しかし不安が大きくなると、そのように解決することができません。

このまま、こんなことをしていて大丈夫なのだろうか、とか、
大変なことになってしまうのではないだろうか、などと感じて、
居ても立ってもいられない気持ちに巻き込まれます。

不安になると、何とかしなくてはと思い、行動します。
不安に駆られるという状態です。
このような状態の時の行動は、多くの場合、あまり良い結果を生みません。

なぜなら、先に述べたように、不安が先に立つと、
客観的に物事を見ることができなくなり、
合理的・合目的的に行動できなくなるからです。


また、不安に巻き込まれると、何もしなくなり、
身動きできなくなることもあります。

周囲から見れば、きちんと対応しなくては大変なことになる、
と思われるようなときでも、本人は何もせず(できず)に、
周囲だけがやきもきしていることもあります。

この場合には、不安により
現実を直視できなくなっている状態、と考えられます。


どちらにしても、不安が高まると、客観的に物事を見ることができなくなる、
あるいは合理的・合目的的に行動できなくなる、
ということは理解していただけると思います。

このように、不安は心の問題や病気を引き起こす厄介者ですが、
不安が不安のままでいてくれないということが、もっと大きな問題です。

不安が大きくなると、イライラしてきます。
つまり、不安は怒りに変わるのです。
この怒りは、不安よりももっと厄介なのです。


大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り



続きは来週お届けします。





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2019年04月22日

古い服は脱ぎ捨てよう! 世界メシヤになってください 《日・忠孝家へお母様のみ言》



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アメリカ聖地巡礼ツアーで
先日のメガチャーチ祝福式にも参加した
日本の忠孝家メンバーたちに、
真のお母様がラスベガスでみ言を語ってくださいました。
一部紹介します。


天の摂理の完成は真の父母様によって始まります。

堕落した人類は良心作用によって、平和を追求し、
善なる人生を送ることを願いながら、
その地域にあった多くの宗教を通じて、
善なる生活を送ろうと努力して来たのですが、結論は
本流に出会わなければならないということです。

それは真の父母を通して、もう一度重生復活、
祝福という過程を経ることによってのみ、創造主・
神様の息子、娘になることができるということです。

本来の創造主・神様、私たちの天の父母様の夢を
成就して差し上げる皆さん、祝福家庭に
ならなければいけない、という結論です。

祝福は分け与えれば分け与えるほど、
より大きくなります。ですから皆さん、
氏族メシヤ、国家メシヤ、世界メシヤに
なることのできる祝福を真の父母が与えました。

この道だけが、現在つくられている宗教の壁、
文化の壁、人種の壁、国境線全てのものを撤廃して、
「天の父母様のもとの人類一家族」の夢が
成就するのです。

過去の古い服をすべて脱ぎ捨てて、
未来に希望を与えることのできる、
新しい服に着替えなければなりません。


神日本忠孝家特別集会
天一国7年天暦3月6日(陽4.10)
国際平和教育センター(IPEC)
(HJグローバルニュースより)


先日紹介した徳野会長のメッセージでも
この忠孝家聖地巡礼ツアーについて
話されていました。

真のお母様は、30人の忠孝家にプレゼントを渡され
通訳を入れて40分のみ言を語ってくださったそうです。

ノエルジョーンズの大祝福式を受け、
「日本でも、日本社会に影響を与えることができる
義人を伝道してほしい。

全ての祝福家庭の宿命的責任であり、
天の切実な願いである神氏族メシヤを必ず勝利してほしい」


このような熱い思いを語られていたとのこと。


メガチャーチでのみ言もそうでしたが、
お母様のみ言の結論は、
「祝福」です。

祝福を通して、全世界のすべての問題が解決され、
天国実現を果たすことができる、というのです。
本当に肝に銘じて取り組まないといけないと思わされます。

ちなみに、真のお母様はアメリカに滞在される時は、
真のお父様とともに暮らされた天和宮におられましたが、
ある時、お父様が夢に出てこられ、
「国際平和教育センターで生活するように」
そのようなお父様のみ言に忠実に従い、
国際平和教育センターに滞在されるようになったそうです。

今回の忠孝家に会ってくださった場所です。

言うまでもないことではありますが、
常にお父様とともに生活しておられる
真のお母様であると感じます。






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