「約束」、そこには
守るものにしかわからない秘密があるとか──
サタンは約束を守るのが苦手だといいます。
では、一番それを守るのは誰でしょうか?
金元弼先生の講話、
今日は、『神は約束を守る』です。
☆
先生は必ず約束を守られるということについてお話ししたいと思います。
何回も皆様にお話ししましたが、約束というのは必ず相対性をもっています。
一人で約束するのではなく、必ず二人の間でなされます。
あるいはたくさんの人の前で約束します。
そこで、私たちは二人でする約束について
知らなければならないことがあります。
☆
約束は、両方がプラスになるという目的を中心にしてします。
二人の人が結婚するのもそうですし、
また社と雇用されている人との間もそうです。
国を治める責任者と国民の間もそうです。
神と人間の間にも一つの約束がありました。
それは神の幸せのためだけの約束ではなく、
人間の幸せのためだけの目的でもなく、
神と人間の幸せを目的にしたものでした。
☆
心と肉身の関係も同じです。
すべてがお互いの喜び、お互いの幸福を目的にしたもの
であるということを忘れてはなりません。
それぞれの個人のための目的ではなく、お互いのための目的ですから、
全体目的とか全体のためにと表現されるのです。
主体と対象という二者にとってプラスになる、
全体の目的というものが考えられます。
☆
さらに、時間性を考えなければなりません。
約束は、ある時期までに果たすという時間性をもっているので、
ある時期になって全部終わるのです。
ですから最初に主体と対象の関係、
次にその目的、
三番目に時間性、
この三つのことをいつも考えなければなりません。
☆
では、二者の約束がいかに守られ、
またいかに破られるかについて話してみましょう。
まず、神と人間との約束から見てまいりましょう。
この約束は、神と人間は主体と対象の関係ですから、
このように当てはまります。
二番目には、約束というものは、人間だけが幸せになる、
神だけが幸せになるというのではなく、
神も人間も幸せになるという創造目的があり、
それは創造理想の実現ということでした。
三番目の時間性についていえば、その約束は永遠性をもつものです。
☆
その次に皆さんが考えなければいけないことは、
神と人間の約束を立証する天使がいたごとく、
二人の約束を認める立場のものがなければなりません。
それが天使です。
夫婦が約束するとしましょう。
そこには必ず二人の約束を立証する人がいなければいけません。
国と国との条約も同じです。
☆
人間は神の約束を守れませんでした。
ところが神には永遠性があるゆえに、
人間は約束を守らなかったけれども、神は約束を守りました。
そうしたらどうなるでしょうか。
お互いが破ったときに
完全に約束が破られたということが決定されます。
一方は守り、他方は守らないのでは、破られたという決定はできません。
世の中でも、片方だけが破り一人は守るとするならば離婚はありえません。
二人とも、よろしいという形になって、初めて相対性をもつのです。
☆
神と人間との約束で、人間は破っても神が守るとするならば、
神の約束はどうなるのでしょうか。
創造理想の実現はどうなるのでしょうか。
創造理想の実現という神の目的はそのまま残っています。
人間復帰の摂理がなされうるのは、神も人間も約束を守った時です。
神も同時に約束を守らないという立場に立つならば、
永遠に理想の実現はありえないでしょう。
☆
人間が守らなくても、神が守っていくとするならば、
どういうことになるでしょうか。
目的というものは、永遠に立てられたものです。
その永遠の目的に対して、神が永遠に守るならば、
対象としての人間は代わりの人を立てることができるというのです。
夫婦の中でも、人間同士でも、
一方が約束の目的を中心として変わらずに守るならば、
ほかの人を代わりに立ててでも、
最初の目的を実現するというのです。
☆
ですから、アダムだけでも神の約束を守ったとするならば、
エバを再創造できたでしょう。
何の意味か分かりますか。
ところがアダムは約束を破ったがゆえに、
二人とも再創造することができませんでした。
そこで神は蕩減復帰の摂理をなさいました。
その当時、アダムだけでも残れば、エバを全部なくして、
新しく再創造することができたというのです。
それは私たちがよく分かっているように、
完全なプラス極が出てくると、
自動的にマイナス極が生まれてくるからです。
☆
神様は永遠・不変・絶対的なお方です。
その神様に連結されている私たちは
どれほど素晴らしい立場にあるでしょうか。
どんな時にも私たちを愛し、導いて下さり、
幸せに至る道を約束しておられる神様です。
ですから、私たちもその神様を信じつつ、
そして、私自身も、不変の心情をもって、
生きて働かれている神様に委ねていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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