浅川先生の自叙伝書写講話。
今回は、「全人類の幸福が個人や家庭の幸福をもたらす」です。
☆
グローバルリーダーは、地球上のあらゆる問題を
自分の問題と考え、それを解決しようとする
開拓者の精神を持たなければなりません。
安定的で固定的な所得に執着したり、退職後の年金と
平安な家庭生活を夢見たりする人は、
グローバルリーダーになることができません。
未来に何が待っているかよく分からなくても、
世界がすべて自分の国であり、全世界の人類が
すべて自分の兄弟だという意識があってこそ、
グローバルリーダーになることができるのです。
兄弟とは何でしょうか。
神様はなぜ、私たちに兄弟を下さったのでしょうか。
兄弟は全世界の人類を象徴します。
私たちは家庭の中で兄弟を愛する経験を通して、
人類を愛する人類愛、同胞愛を学びます。
兄と姉を愛する心がそのように広がるのです。
お互いに愛を分かち合う家庭の姿は、
人類が互いに融和する姿と同じです。
たとえ自分が空腹でも、兄弟のために
ご飯を残すことのできる愛が兄弟愛です。
グローバルリーダーは、まさに人類を相手に
兄弟愛を施す人です。
(自叙伝、334ページ)
☆
人間は誰でも幸福を求めて生きています。
大抵は自分の幸福か、家族の幸福を求めています。
なかには、自分と家族さえよければいいと、
他人の人生には無関心の人もいます。
また、自分と家族や一族の幸福のみを追求するあまり、
他の家族を犠牲にしてしまう人もいます。
☆
歴史的に見れば、日本国内の争いも、自分と家族、一族の幸福のために、
隣人の幸福を奪い取ってしまう自己中心的な行動でした。
自分と家族さえよければいいという幸福の求め方は、
他者を苦しめる場合もあるのです。
では、隣人の幸福に無関心でいたり、苦痛を与えてまでして得た幸福は、
本当の幸福と言えるのでしょうか?
結果的に、築き上げた自分と家族の幸福は、
砂の器のように消えていくのではないでしょうか。
事実、争いに勝って栄華を得た一族は、結局は他の勢力に滅ぼされています。
人を犠牲にして立てた建築は基礎が弱いため、
怨念の土石流で流れてしまうようです。
☆
文鮮明(ムンソンミョン)先生は自分と家族の幸福ではなく、
世界人類の幸福と平和のために生きてこられました。
そのために幾たびも自分と家族を犠牲にされました。
もし、幸福が他人の犠牲の上に成り立つものであるならば、
これほど不合理な生き方はありません。
自分には何の得にもならないことに全身全霊を注いでこられたのです。
文鮮明先生は自叙伝で
「『私さえ幸せに暮らせばよい、
私の家庭さえ守ればよい』という言葉は、
私の辞書にはありません」
(自叙伝、229ページ)
と言われています。☆
人間とは、全世界の人々が幸福にならない限り、
私と家族の本当の幸福にはなれない存在なのです。
そのような宿命を背負って神様から創造されているのです。
なぜなら、人類は神様の子であり、互いに兄弟姉妹であるからです。
兄弟の誰かが苦痛を受ければ、他の兄弟は心配で心が安らげないように、
一人の痛みがすべての人類の苦痛となるのです。
まさにそれこそが、人類が神様の子女である証拠なのです。
☆
ある詩人の歌があります。正確とは言えませんが、こんな詩句でした。
「四方の壁から嘆きの声が聞こえるとき、
私一人の幸せはありえない」
世界の誰かが悲しんでいれば、私一人の喜びはあり得ないというのです。
人間は世界人類がすべて幸福になってこそ、自分と家族が幸福になるのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第六章】全世界の人類がすべて自分の兄弟
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第六章】全世界の人類がすべて自分の兄弟
☆
真の父母様の心情は神様と全く同じです。
だから、自分の家庭を犠牲にされて、
公的な愛の精神をもち、全世界の人を愛し、
自らの子女と同じ思いをもっておられるのでしょう。
私たちも神様に近づけば近づくほど、
万民を愛する心情を持てるのだと思います。
人を愛する心情を持てないというのは、
神様を観念的にしかみていない、
そういうことなのだと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)