まだ4.6の興奮が冷めない中ですが、
あのように素晴らしい3000組の祝福式と大会を
先導されたノエル・ジョーンズ司教について、
大会前に語られた
アメリカ会長のメッセージよりお伝えします。
☆
まず、私達は摂理的使命を担当しているという事を
もう一度思い起こさなければなりません。
私達が初めて真の父母様に出会い、
この運動に入った時に感じた切迫感と希望は今も変わりません。
皆さんも御存知のように、今もまだ真のお母様のリーダーシップを
否定しようという努力がなされています。
今この時、LAでのお母様の大会の内外の準備の為に、
私達は完全に一体化することが重要です。
全米のいたるところでこのようなイベントがもたれる様になるでしょう。
今貴重なこの時、私達が一つになる事が最も重要だと感じます。
☆
2018年12月26日、韓国でアメリカのリーダー達が
真のお母様と朝食を共にした時、
お母様は非常にはっきりと、
「アメリカの全ての祝福中心家庭が
神氏族メシアを完遂しないといけない。
そうすれば、私達はキリスト教を抱きかかえ、
アメリカを復帰できる」
と言われました。
今、それが起こっているのです。
真のお母様はアメリカにおける神のみ業の内容を深く理解されておられ、
それを素早く進める為に何が必要かをはっきりとご存知です。
全ての家庭が神氏族メシア活動をする事により、
神が働く基盤が広がっていきます。
☆
(3月17日、The City of Refuge教会の礼拝で)
ジョーンズ司教は特別にこのような事を話されました。
「空中ブランコの曲芸師が次に向かってくる
(空中ブランコの)棒をつかむ為に、
持っている棒を手から離さないといけない様に、
私達も今、後ろに引き戻そうとしている何かがある。
それを手離さないといけない」
彼はキリスト教徒達に、キリスト教環境を超えて考え、
他の宗教を信じる人々の神も私達の神も同じ神だ
という事に気が付く様に説いているのです。
もし、その神が私達の神であり、その神が同じ神であるなら、
私達は同じ人間同志です。
彼は本当にすべての宗教人に対し、神についてより完全な、
そしてより深遠な理解を深める為に、
自分の宗教を超えて物を見る様にと訴えているのです。
たとえ、私達が神様を愛すると言っていても、もし私達が、
目に見える自分の兄弟を愛する事が出来なかったとしたら、
目に見えない神様をどうして私は愛すると言えるでしょうか?
彼は教理の違いよりも愛が大切だと説きました。
本来のキリスト教とは、そういう違いを超えて愛し、
尽くすことだと説きました。
祈りと賛美の大切さ、そしてそれが私達を
悪魔から守るよろいの役目をすると説きました。
彼は会衆に、
「自分の武具を身につけて、準備しなさい、
なぜなら悪魔が4月6日までに彼らを襲って、
キリスト教信仰から離れさせようとするだろうから」
と言いました。
☆
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/464999915.html
⇧このアメリカ会長のメッセージを取り上げた記事
ノエル・ジョーンズ司教の説教の内容も掲載
⇧このアメリカ会長のメッセージを取り上げた記事
ノエル・ジョーンズ司教の説教の内容も掲載
先日、教会長が礼拝説教において、
ノエル・ジョーンズ司教の教会で行われた、
祝福式の報告とともに、
このアメリカ会長のメッセージを通して、
感じられた内容を話されました。
私は、ノエル・ジョーンズ司教の言葉に感動しました。
やはり天が準備した人ですね。。。
空中ブランコから手を放し、
そして、新しいブランコをつかんだのです。
教会長は、説教で、「新しいぶどう酒は、新しい革袋に」
そのような聖句を引用しておられました。
今までの価値観、過去の習慣性では、
新しい真理のみ言を理解し、受け入れることができないと思います。
そういう意味で、ノエル・ジョーンズ司教は、
とても寛容な、本心で感じたことを受け入れる、
そのような方なのだと思います。
考えてみれば、次の空中ブランコに手を
持ち替えることは、簡単なことではありません。
ただ必死にブランコの棒にぶら下がっているだけでは、
どうしようもないでしょう。
勢いをつけて、向こう側に行き、
思い切って飛び移らなければなりません。
天と真の父母様が、力強く背中を押してくれているので、
私たちも、その勢いに乗って、空中ブランコの棒から棒へと
移ることができるのではないでしょうか。
今、天が準備している義人をつかむためにも、
自分が持っているブランコを放して、
新しいブランコをつかむ、
そのような勇気と決意が必要なのではないか、
そのように思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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