金元弼先生の
約束に関してのお話、続編です。。。
☆
人間が約束を守らなくても、神は永遠に守りますから、
人は代わっても神の理想の実現は可能だということが分かります。
ですから、ある面から見れば、神の6000年の人類復帰摂理は、
神が人間との最初の約束を守り通しているという歴史にもなるわけです。
そういう神の道を先生も歩まれるのです。
☆
堕落したゆえに、私たちが約束する時は、私と相手のほかに、
神とサタンが一緒にいることを忘れないでほしいのです。
メンバーたちがこの道に入って、先生の前に約束するとしましょう。
そこには必ず神もいれば、サタンもいるわけです。
ところが、先生と私たちの約束は永遠の約束です。
ただこの世にいる時だけ一緒になりましょうという約束ではありません。
☆
時々私たちは、先生の約束を破ることがあります。
先生の前で神に誓った霊能者たちは、その約束を忘れました。
ところが、先生はそういった方に対しても、約束を破棄しませんでした。
先生との約束を破ったのをよく御存じでありながら、
先生は相変わらずその人のためにお祈りし、約束を守られました。
さらに約束を守らないばかりでなく、かえって反対したとしても、
先生はその人との約束を守りました。
そうなった場合、その人を代えても、ほかの人を立てて、
先生との約束を守らせていくのです。
☆
私たちは、相手が約束を守らないと
「あなたとは絶交します」と宣言して別れます。
国際関係もそうなって戦争が起こるのです。
神と人間との間、あるいは先生と私たちの間において、
もし神がそして先生がそうなさるならば、私たちはどうなるのでしょうか。
そこでは永遠も理想も考えることができないでしょう。
☆
リーダーと教会員との間において、
リーダーが約束を守らないことがたびたびあった時に、
教会員はどうしたらいいのですか。
一つ私たちが忘れてはいけないことは、相手が約束を守らなくても、
こちらが守ったならば、前よりもっといい相手が必ず出てくるということです。
そのことに対して、確信をもってほしいのです。
教会員とリーダーとの間で約束したにもかかわらず、
教会員は守り、リーダーが守ってくれなかったという時に、
その後もその教会員が約束を守っていくならば、
もっと高い次元でそれを補ってくれる主体者が、必ず出てくるということです。
もっといいリーダーが出てくるということです。
メンバーが約束を守らない時には、
前よりもっといい教会員が現れるということです。
それはなぜでしょうか。
相手が約束を守らない時には、こちらも守りたくないのです。
しかし、死んでも守りたくないのを守ることによって、
自己の限界を超えるからなのです。
☆
元弼先生のみ言を拝読しながら、
お父様が興南解放の時のことを思いました。
愛する家族の元を訪れたのではなく、
平壌にいる食口たち、
一度、お父様のところに来た人たちに、
会いに行かれたお父様でした。
しかも、40日間訪ねて回り、
戦乱が激しくなった状況で、
留まることができずに、
南に避難されたお父様でした。
すなわち、ご家族の元を
訪れることができなかったのです。。。
全てを神様中心で捉えていかれたお父様は、
その人たちがすでに心情が離れていても、
一度出会った因縁を貴く思い、
約束を守っていかれたお父様だったのです。
人によっては、
簡単に約束を破ってしまう人もいます。
そういう人に対しては、なかなか
信頼をおきにくくなってしまいますが、
お父様の観点からすれば、
その人がどうなのかが問題ではなく、
私が約束を絶対視するか否か、
そのことが重要なのだと思います。
やはり、神様の心情圏に立って、
物事を見つめていかないといけないな、
改めても感じさせられます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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