浅川先生の霊界シリーズ。
地獄編もようやく最後になります。
今回は、『地獄に行かないために』です。
☆
では、地獄に行かないために、どのような生活をすればいいのでしょうか。
天国に行くためには三つのことがあると述べました。
「愛を感じて生きる」、
「愛して、その愛したことを忘れる」、
「天国を目指した幸せな家庭をつくる」ことです。
しかし、地獄は逆に絶対に行ってはいけない所です。
地獄に行ってしまえば、自分だけでは収まりません。
子孫にも苦しみを与えることになります。
自分だけの苦しみで終わるのではありません。
ですから絶対に行ってはいけないのです。
☆
地獄に行かないための一番目は、どんなに人生が苦しくても、
「自殺してはいけない」ということです。
自分で自分の命を絶対に絶ってはなりません。
それは、何も解決にならないからです。
解決にならないばかりか、自殺の苦しみを霊界に行ってから、
常に味わわなくてはならず、苦痛はなくなりません。
苦しみだけが残るのです。
ですから、人生に襲いかかる不幸から逃げてはいけないということです。
逃げれば逃げるほど、不幸は追ってくるものです。
不幸は避けようとすればするほど、避ける人を好むのです。
逃げようとすればするほど、不幸のほうから、
全速力で追ってくるので、ますます不幸になっていくのです。
正面から不幸と向き合って生きなくてはなりません。
正面から不幸を見据えて生きる、こういう生き方が大切です。
そして死んだつもりで頑張っていけば、必ず道があります。
開かれない道はありません。
だから死んだつもりでチャレンジしてみれば、必ず道が開かれます。
このことを信じて、前に向かって生きていくことが一番目です。
☆
二番目は、「人を殺さない」ということです。
「そんなことは分かっているよ」と言うかもしれませんが、
殺人には二つの要素があるのです。
第一に肉体の命を奪うという殺人があります。
これは刑法で裁かれます。
しかし霊界と地上界、霊人体と肉身という観点で見ると、
霊界に行くのは霊人体です。
霊人体に傷をつければ、れっきとした霊的傷害事件となります。
これは消えません。
肉体の傷は火葬場の灰となって消えていきますが、
霊人体につけた傷は消えないのです。
永遠の傷跡となります。
☆
では、何をもって霊人体を傷つけるのでしょうか。
それが悪い言葉なのです。
言葉は刃物なのです。
この言葉の「刃物」で相手の霊人体に傷をつけた場合、
その傷は死んでも治らないのです。
「怨み」という痛みとなります。
これは霊的傷害事件なのです。
このことを考えるならば、悪い言葉を口から出して、
相手を傷つけてはいけないということです。
その傷ついたことが原因で、その人が自殺でもしたならば、
れっきとした殺人です。
また、その人が人生の希望を失ったならば、
相手の人生を駄目にしたことになります。
言葉の罪は、霊界では非常に大きな罪になるのです。
☆
そして、根も葉もないうわさは流さないということです。
陰謀というのは、根も葉もないうわさを流して
相手を追い込んでいくことです。
簡単なうわさでも、人を追い込むことになります。
したがって悪いうわさ、根拠のないうわさ、
人づてに聞いた根も葉もないうわさは、流さないほうがいいのです。
言葉に気をつけ、
優しい言葉、美しい言葉だけを出すようにしなければなりません。
☆
三番目は何でしょうか。
過分な情欲をもって、男女間において
「性的罪の関係をつくらない」ということです。
不倫をしないことです。
大まかに言えば、人を傷つけないこと、人を苦しめないこと、
自分の命を絶たないことです。
不幸を正面から見据え、歯を食いしばってでも、
命懸けで幸せな道を開拓していくことです。
必ず道はあります。
そのように生き続けていくことが、
地獄に行かない道であり、人生であるということです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第三章 地獄とは
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第三章 地獄とは
☆
生命の問題と愛の問題、
このことは、本当に重要です。
この世的には、「見つからなければいい」、
そんな風に思うような問題でも、
また、芸能界では、多少の年数を自粛していれば、
裁かれることなく、カムバックしますけれど、
霊界ではそうはいかない、のですね。
地上で清算しなければ、
霊界では大変なことになってしまうのです。
私たちはみ言を知っているので、
罪が何かを知っています。
しかし、一般の方の価値観は違います。
何が正しくて、何が間違っているか、
多くの人たちに伝えていかなければならない、
改めて思わされます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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