神様も、そして真の父母様も絶対に約束を守られます。
たとえ相手が守らなくても。
そして、守り続けると
さて、どうなるのでしょうか──
金元弼先生の約束に関するお話、
今回は、「約束の永遠性と誠意」です。
☆
約束が成し遂げられるまでには、
必ずある期間を経過しなければいけません。
約束は、未来の目的を成就しようとして、今するのです。
時同性があるのです。
ですから約束をした主体と対象の二人の人は、
必ずその約束を守っていかなければならない過程をもっているのです。
相手が途中で破ったとしても、
こちらが目的地まで完全に守ったというところまで行くならば、
完全なるプラスには完全なるマイナスが自動的に現れるのと同じく、
神はその代わりに新しい人を準備するのです。
☆
ですから、アダムが上まで上がったとして、エバは途中で堕落した場合に、
神はもう一人のエバを採用してくれるということになります。
だから約束を破った人が問題なのではなく、
約束を守る人が問題になるわけです。
☆
神から見れば、一方の人が最後まで約束を守ったならば、
別の人を立てることができるのです。
ところが、どちらも守れない時には、神の基盤がありません。
そこでまた二人を造って出発しなければならないということが起こるわけです。
すると神の摂理は延長されますか、短縮されますか。
それは延長されます。
一人だけでも守ってくれれば、その人によって延長しないで、
順調に進めることができるのです。
一人が約束を完全に守るならば、相手がたとえ守らなかったとしても、
もっといい相手が現れるということです。
☆
夫婦でも同じです。
一方が約束を守らなかったとしましょう。
しかし片方は「私はこの相対者を求めて幸せな家庭をつくる」
という心を変えずに、約束を守っていくならば、
代わりの者が現れて、理想家庭をつくるという目的が、
結局は成り立つようになるのです。
ところが、「世の中はむなしい、信ずるものがない」と言って、
二人ともそうなれば、その家庭から幸せは生まれないでしょう。
☆
ですから、先生が今まで歩んでこられた道は、
たとえ兄弟が先生を信じないで教会を出ていくとしても、
常に約束を守られたので、人は代わっても、いい人がどんどん現れて、
摂理が成し遂げられてきたのでした。
☆
「約束を破った人が問題なのではなく、
約束を守る人が問題になる」
この言葉、結構、衝撃的な言葉ではないでしょうか。
破った人が問題だ、通常はそのように思うでしょう。
しかし、守る人が問題だ、というのです。。。
元弼先生は、アダムとエバの堕落のことを例えていますが、
もし、アダムが堕落せずに完成していれば、
エバを復帰できた、ということを考えれば、
なるほど、納得です。
もちろん、父母様が約束を守るのだから
私たちが、守らなくていいわけではありません。
だからこそ約束の主体になって、
責任を持つものになっていきたい。
相手の状況に右往左往する私ではなく、
神様の前に絶対的な対象となって、
私が約束を守るのだ、という思いを
持ち続けなければならないと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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