日本では今までにない、長きにわたるゴールデンウイーク。
巷は令和に浮かれているように見えます。
この時代の真の価値は、
神様の願いを知らなければ本当の意味でわかりません。
この人たちが、神さまの子女であると知り、
孝情の心情が、この社会に満ちたらどんなにいいだろうか・・・
そんなことを思っていると
ふと周藤先生のことが頭に浮かんできて、
かつての証しを思い出しました。
実は、周藤先生は、
バリバリの無神論者だったのです。
その周藤先生が、
神様に出会った証しを紹介します。
☆
大阪大学理工学部の頃、一人のクリスチャンの友達がいました。
「教会に行きましょう」と言われたのですが、
いつも断っていました。
「君は教会のことを言わなければ本当に良いやつなのに、
それだけが玉にきずだよ」とも言っていたくらいでした。
三年生の時に薬学部に変更し、四年生の時、
インフルエンザを患い、それがもとで急性腎炎になってしまいました。
医者から、三ヵ月くらい休んだ方が良いと言われ、
しかたなしに田舎に帰って、療養することになりました。
しかし二、三ヵ月経ってもすこしも良くならず、
寝たきりになって一年半も経ってしまいました。
その頃はよく空中を飛ぶ夢とか、空中を歩く夢を何度も見ました。
そのせいかいろいろなことをだんだん悲観的に考え始めたのです。
たとえば、もうこのまま死ぬのではないかとか、
また、病気も慢性化してきているので、
もうこのまま一生治らずに
生涯まともな体になれないのではないかという不安の中にいました。
そんな中で、ただ一つだけ私を慰めてくれたのは自然の美しさでした。
そのうち近所の人たちから『信心』をしたら治るなどと、
いろいろな勧めを受けました。
しかし信仰をするくらいなら死んだ方がましだと、私は思ったのです。
☆
ある時、生長の家の本が送られてきました。
最初は関心がなかったのですが、何度も何度も送られてくるので
半信半疑で開いてみると、結核の空洞が消えたとか、
ガンが治ったとか、家庭の不和が止んだとか、
不治の病が治ったとか書いてあったのです。
そのうちに、一つのことを発見したのです。
それは、そういう奇蹟が起こる前には
悔い改めとか懺悔というものが必ずある、ということでした。
では自分はどうなのかと考えてみると、
今までに二十年間の自己中心的な歩みが次から次に浮かんできて、
自分の醜さに対してどうすることもできなくなってきたのです。
そして、こんなに汚い自分がこのままもし死んだとしたら、
と思うと堪えられなくなったのです。
☆
次にもう一つ気がついたことは、
自分は今までたった一人の人をも
愛したことがなかったということです。
誰をも愛さず、誰からも愛されず、
こんな醜い姿をして死んで行かなければならないとしたら、
どんなに惨めだろうと思いました。
学校の卒業証書だとか、表面的なものが何になるか、
裸の自分はどうなのか、その自分の姿は何と醜い姿なのかと思った時に、
たまらなくなってきました。
私は、七日間涙ながらの悔い改めをしました。
すると今度は八日目に『甘露の法雨』(生長の家の経典)が届いたので、
それをずっと読み続けました。
今度は一つひとつの言葉が身にしみてくるようになったのです。
☆
それは蒸し暑い日のお盆の頃でした。
私は生も死も超えて何か高い者の前に
自分を委ねようという気持ちがふつふつと湧いてきたのです。
私は生まれて初めて手を合わせました。
すると次の瞬間、パウロのような体験をしました。
右斜め上からはっきり光で打たれたのです。
次に、脳天から通じる真っ赤な炎が飛び込んできました。
私はびっくりし、何か起こったかわからず
しばらく身も心も麻痺したようでした。
十分くらいしてから、背中の方がおかしいことに気がつき
手を当ててみたら、今まで悪かった腎臓が震動していたのです。
『治った!』と私は思いました。
まるで夢か幻のようでした。
自分をつねってみました。
本当に神様を見たようでした。
今までは神様を見せてくれと言っていた自分でした。
しかし実際に体験することによって人生が180度転回しました。
神様が存在するという生きた体験は、
自分にとって大きなものでした。
私は、人生における大飛躍を通じて、
『百万人が反対しても自分は神様は存在すると言い張ることができる。
百万人を相手にしてみせる』という気持ちになりました。
☆
周藤先生はクリスチャンだったという
認識があるかと思いますが、
それは、生まれながらではなく
お父さんの影響で、長く無神論者だったようですね。
家庭連合(当時は統一教会)に導かれることになるのは、
この後のお話になります。
さて、奇跡が起こった背景には、
7日間もの間、涙で悔い改めていかれた
20歳の周藤先生の姿がありました。
まさに信仰基台と実体基台、
信じて、実践したことにより、
神様が働いたのだと思います。
無神論だった周藤先生が、
神様を受け入れていったように、
もともと神様を信じていなくても、
素直な人であるならば、
神様と出会えることを確信します。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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