大知(おおとも)先生の
「氏族伝道の心理学」、
「不安」と「怒り」の続きです。
☆
「怒りは『破壊衝動』です」と説明します、と述べました。
では怒りは、神様と無関係で、
堕落によって生まれたものなのでしょうか。
「神の喜怒哀楽」という言葉は、
「統一原理」にも「統一思想」にも出てきます。
この言葉から考えれば、人間は怒りも
創造本性として持っていたのではないか、とも考えられます。
しかし、かつて大母様は、
「天国に行くための条件生活」を十一項目発表しましたが、
いろいろある項目の中の一番目に
「絶対に怒ってはいけない」を挙げています。
果たしてどう考えたらいいのでしょうか。
☆
怒りは、もともとは
本然の自己防御反応であると考えられます。
「『怒り』は本来、自分よりも強い、もしくは同等の敵と戦って、
怪我をしても生き延びるようになるよう、
脳から全身に下された命令として生まれたものです。
全身の血管が収縮し、血が脳に集められ、
胃腸などの代謝機能は停止され、痛覚が麻痺し、
臨戦体勢になるわけです」。
『病んだ心から健康な心への道─怒りのない人生へ』
(島野隆著、文芸社)
(島野隆著、文芸社)
☆
この説明からもわかるように、
怒りは創造本然の世界においてもあり、
冒険などで大きな自然に立ち向かうときなどに、
自分自身を守るために、もともと神様から与えられていた
生理的・心理的反応なのだろうと思います。
火事場の馬鹿力のような
瞬発力を発揮するための心身の状態と言えるでしょう。
☆
しかし、堕落により、人間は神様から離れてしまったため、
いつも情的に満たされないものを抱えるようになりました。
また霊肉共に無知に陥り、本来の知恵を使って状況を把握し、
問題を乗り越えていくことができなくなりました。
さらに、情と知が未熟なため、
状況に積極的に向かっていく意欲を失ってしまいました。
また環境が悪なるものとなったことにより、
様々な不安に脅かされるようになりました。
これらの要因が重なって、創造本性としてもっていた
心身の機能が、本然の安定したバランスの取れた状態から
大きく離れ、コントロールを失った
「情の暴走」による破壊衝動になってしまったのだと考えられます。
☆
創造本然の世界でも、知情意が未熟な子供たちは、
怒りをもつことがあったかもしれません。
友達同士でけんかしたり、相手を傷つけることもするのかもしれません。
しかし、心身の成長の中で、知情意が成熟してくれば、
友人とのトラブルも、怒りではなく、
相手を思いやったり、合理的な解決方法を見つけたりして
対応していけるようになり、怒りをもつ必要がなくなるのでしょう。
つまり、今もっている私たちの怒りのほとんどは、
私たちの知情意の未成熟さと、
堕落世界の悪なる環境の中で起こってきているものだと考えられるのです。
そして、私たちは、自分自身の知情意を成熟させていくために、
悪なる環境の中にいるとしても、
怒りをもって対するのではなく、
愛することによって越えていく努力が必要だということです。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
(編集、文責:ten1ko2)
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
(編集、文責:ten1ko2)
☆
「喜怒哀楽」は神様の持っている情の世界である、ということは、
怒りの思いも、創造本然の情だったのですね。
喜怒哀楽、どの思いも、人間が堕落したので、
本然の情になっているとは言えませんが、
特に、怒りの思いに関しては、
よりコントロールできなくなってしまったのではないか、
そのようにも思わされます。
私たちがもつべき怒りは、
「自分の邪心に対する敵愾心(てきがいしん)」
そのように表現してもいいかも知れません。
また、お父様はかつて
「堕落観念に徹せよ」
そのようなみ言を語られましたが、
そういうことに通じるのかもしれません。
いずれにしても、
情の未熟さと悪なる環境によって、
怒りも破壊衝動になってしまうことを思うと、
情の成長と善なる環境づくりに、
より働きかけていかなければ、と感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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