2019年05月09日

嫌いな人を愛すれば祝福が来る! 苦労・迫害はとても貴重 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



190509iyohan.jpg


李ヨハネ(イ ヨハン)先生が
かつて礼拝で語られた説教、「苦痛の価値性」より紹介します。


人は苦痛を受けると、
「私は苦労しても当たり前だ」というようには考えられません。

「私は迫害を受けて当たり前だ。
私が偽りものだからそういう待遇を受けてもしかたがない」
とは考えず、自分を忘れるようになります。

間違っても間違っていなかったと見せかけようとするのです。
しかし、間違ったら正直に、本当に自分が間違っていたと
完全に認めることができなければなりません。
間違いというのは、いつかは正体が暴露されます。

ところが皆、間違った現実をいつも少しでも隠そうとし、
「自分が種をまいたのだから、自分で責任をとる」というようにはなりません。
苦痛の中では自分を忘れてしまいやすいのです。


苦痛を大切に思う人は自分を見つける人であり、
自分の真実を見つける人です。
苦痛を嫌がる人は真なる自分を失う人です。
偽りの自分が続いているということです。

苦痛を甘受しようという心は、苦痛を通して偽りを取り除き、
心霊を復活させることができます。

同じように、十字架を通して罪を取り除き、真の愛を復活させます。
それが十字架です。
私たちは苦痛の価値性をよく知らなければなりません。


これからは、このような原則をもって苦労しなければなりません。

嫌いな人が自分に福をくれることもあり、
自分を喜ばせてくれる人が
自分の受けた恩恵を奪っていくこともあります。

嫌いな人をみ旨と和合させれば、祝福が来ます。
嫌いな人を嫌えば自分を失うことになり、
嫌いな人と和睦すれば自分の心霊は成長するのです。

これはどれほど貴重なみ言でしょうか。
難しいことですが、多くの経験を持つ人はこの一言でよく分かるはずです。

今からこのことをしっかり記憶して、苦痛を貴重に思いましょう。

苦痛の価値がこんなにも貴いので、
苦痛を浪費しては真なる自分を見つけられません。
真の自分を失ってしまうというのです。

イエス様が貴い理由は、苦痛の価値を知って、
苦痛を貴重なものとして甘受したためです。

1977年7月24日(日)中央修練所
「苦痛の価値性」
この説教は聖日の礼拝で語られたもの


「嫌いな人が自分に福をくれることもあり、
自分を喜ばせてくれる人が
自分の受けた恩恵を奪っていくこともあります」
これは新しい気づきです。

人間関係をただの利害関係として捉えるのでなく、
私の心霊の成長として見ていけば、
愛せない人、嫌いな人がいる、
というのが感謝だというのです。

そういう意味では、
神氏族メシヤと真の家庭運動、
そして、伝道することが
私の心霊成長の最高の道だと思わされます。





にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 07:49 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする