2019年05月16日

たとえ殺されても、怒ってはいけない?! 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生 「氏族伝道の心理学」より
『不安と怒りの構造』後半です。


では、相手が悪い時は、どうしたらいいのでしょうか。

客観的に見て、合理的に行動していけばいいのです。
なぜ、こんなことになっているのか、ということを。

子供が勉強をしないとき、怒る前に冷静に考えてみてください。
勉強しない理由は、勉強が難しくて、
ついていけなくなっているからかもしれません。
あるいは学校の先生とうまくいかなくて、
勉強をする意欲をなくしているのかもしれません。

もしそうだとしたら、勉強を丁寧に教えてあげるとか、
子供と学校の先生の間に入って調整するということが必要になります。
怒る必要はありません。


ある講演でこうした怒りの話をしたときに、
「殺されても怒ってはいけないのですか?」
という質問を受けたことがあります。

答えは、「殺されても怒ってはいけません」ということです。

そのように、殺されても怒らなかった方が、イエス様です。


私は、以前、「パッション」(2004年、メル・ギブソン監督)という映画を見ました。
世界中で話題になった映画です。

ゲツセマネの祈りから、十字架にかかって復活するまでの
『聖書』の記録を再現したものです。

イエス様は、弟子に裏切られ、中傷罵倒され、不当な裁判にかけられ、
むち打たれ、嘲笑され、最後は十字架で亡くなられますが、
その間、イエス様は一度も怒りませんでした。

殺されても、怒りませんでした。
ただ、赦(ゆる)されました。

だから、霊的な救いの道が開かれたのです。
あの時、イエス様が、弟子たちに向かって、
群集に向かって、偽証する者に向かって、
もし怒りを発したならば、
イエス様は霊的な救いの道を開けなかったかもしれません……。

 
ですから相手が悪いときでも、怒ることなく、
客観的に物事を見つめ、
合理的に対応していくことが大切です。
それが問題解決の最善の方法です。

話が大きく広がってしまいましたが、
不安と怒りの構造について、理解していただけたのではないかと思います。

心の問題や心の病は、この怒りと不安が引き起こしていること。
そして、この怒りと不安は自分自身の中にある
ということを理解していただければと思います。


ちなみに付け加えると、不安が大きくなると、「恐怖」になります。

恐怖は、怒りには変わりません。
恐怖は、「パニック」を引き起こします。

恐怖がさらに大きくなると、「絶望」に変わります。
キルケゴールは絶望を、「死に至る病」と言いました。
ただ、無気力になって悪い状況を受け入れていくのみとなります。

では、私たちは、不安と怒りを
どのように克服していけばよいのでしょうか。

不安と怒りを克服していくためには、
なぜ私たちは、不安や怒りといった心の状況に
陥ってしまうのかを知る必要があります。



イエス様の偉大さを感じるみ言でした。
もちろん、それが真の父母様にも通じるのだと思います。

不安と怒りの正反対にある「赦し」。
ちょっとしたことで、すぐに感情を表してしまう、
そのような、自分の足らなさを反省していきたいです。

また、対象圏が問題なのではなく、
主体である、私自身の心の問題なのだと受け止める人生観、
これをすべての人たちが行えば、
どれだけ素晴らしい世界になるでしょうか。。。

まずは、「私」からですね。





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posted by ten1ko2 at 07:42 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする