2019年05月17日

ノエルジョーンズから学ぶこと 真の母から直接感じてほしい?! 《田中地区長2》



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田中地区長の「摂理的視点」
ノエル・ジョーンズ司教の証し、続編です。


ノエルジョーンズ(司教)が
「ママムーン(彼は、お母様をこう呼びます。)を迎えて、
祝福式をしたい」
そのように、言ってこられました。

どうしてしたいと思ったのでしょうか。

彼の教会の信徒は、礼拝参加者1万人、ネット参加者1万超と言われています。
彼が自分の信徒たちに祝福式をしたいと言ったとき、
長老幹部たちはじめ全てが大反対でした。
それを、彼が説得していきました。
その反対する様子を見て、うちの教会員たちが不安になりました。

彼は「心配するな。
新しいことをしようとする時には、必ず波紋がおきるものだ。
そして、お金のことも心配するな。
私には金がある。
私の不安は一つしかない、
それはママムーンが本当に来るか、それだけだ。
必ずママムーンを連れて来てくれ」
と言うくらい、強い信念をもってこの計画を打ち出しました。


それでも不安の波を消せない、そんな中で、
お母様を迎える3週間前、礼拝をしました。

その時の彼の説教は
「今度、韓鶴子総裁を私たちの教会に迎える。
それは、神学論争をするためではない。
神様論争をするためでもない。
あらゆる宗教は、平和を求め、愛による一体化を求めている。
そこに必ず共通点があると私は確信している。

そして時に神は大切な使者を遣わす。
それは教会レベルで遣わされることがあるし、国家レベルもある。
一番大切なのは、世界レベルで遣わされる使者、
この人物と出会うかどうかが大切なんだ。

私は韓鶴子総裁こそが、
世界レベルで神がここに送られた平和の使者であると確信している。
だから、ここに呼ぶのだ」

これが3週間前の礼拝です。


そして、2週間前の礼拝では

「私たちは往々にして自分の教会の神様を絶対だと思っている。
そして、ほかの宗教の神様が間違っていると捉えやすい。
でも、もしかしたら、お互いが神様の違った側面を見ているだけかもしれない。
そのことを私たちは意識しておかなければならない」

これは、盲人のゾウの話ですね。
ある者は長い鼻を、ある者は、壁のように広いお腹を
そこだけを見てゾウはこういうものだと語る。

また、例えていえば、長女に「お母さんってどういう人」と聞いたら「きびしい」
末っ子に聞いたら「やさしい」って言うかもしれない。
同じお母さんに対して見つめ方が違う、感じ方が違うと同じように、
もしかしたら同じ神様を違う側面だけ見て、
私たちはそれを絶対視しているのが、宗教のありがちな話である。


極めつけはなんと言ったかというと
みなさん、サーカスの空中ブランコが、真ん中まできたら、
その後は、向こうから来るブランコに飛び移るでしょう。
この話をしたんです。

「もし、ママムーンを迎えたら、もしかしたら、空中ブランコ時のように、
しっかり握っている手を放さないと、
向こう岸に行けないということに、直面するかもしれない。

自分が信じている、自分はこう思っている、自分の経験上こうだ…、
自分がしがみついているものを手放さないと、
私たちの行くべき所に行けないかもしれない」

こういう話をしたんですよ。


彼は、お母様を迎えたらどういう現象が起こるか、
どこに行ってもお母様が語られるみ言は同じなので、
何を語られるかわかってる、
そのメッセージを自分の教会で語られるという前提で心の整理をしながら、
お母様を迎えていった、これが今回の彼の取り組みです。

この礼拝を聞いていても、彼はお母様に触れて、
自分の神観が根幹から変わったということがよくわかります。
ですから、お母様に触れた以降、彼は何を説教しているかというと、

「もしかしたらイエス様は十字架にかかるべきではなかったかもしれない。
もしかしたら、洗礼ヨハネは失敗したのかもしれない」


この真のお母様に触れて、そこで出会った神様を、
自分の教会員たちにもママムーンから直接触れて感じてほしい。
自分が語ることは、もちろんできるが、そちらを優先して、
そして、今回の祝福式に臨んだのです。

だからおそらく私の直感ですが、
祝福の意義と価値はほとんど理解していないと思います。
祝福とは、天からの祝福、「アーメン、ハレルヤ」
という感覚でしか受けていないと思います。

祝福よりは、彼が出会った神様が衝撃だった、その神様をみんなと共有したい。
そして今回、このキリスト教会に真の父母を迎え入れて
祝福式を展開していきました。
それは、新しいうねりとなっています。

今年米国では、キリスト教の各教会において祝福式を展開する
というところに、大きな力点をおいて動き始めております。


私が言いたいのは、ノエルジョーンズがどうこうではなく、
彼の語った空中ブランコのように、
手放さなければならないかもしれないということです。

私なんかも教会に来て46年になります。
これだけ長く教会にいると、もう染まっていますよ。

そして、自分なりの体験があるでしょ。
こう決意したら、霊界はこう動くとか。
こう祈ったら神はこう働くとか、自分なりの経験したものをもっていますね。

そういう経験値、成功パターンが、意外と
我々の時代の流れ(に対する目を)を曇らせてしまうのかもしれません。

お母様は、「ここに来るまで6年かかってしまった」
昨年、そのように語られました。
簡単にいえば、お父様が聖和されてから今まで、
何もできなかったんだ、ということです。

6年たって、ようやくここまで来た、というのです。
では、何が来たのでしょうか。

ですから、私たちは、お母様がそのように語られる
その意味というものを見つめていかないと
今の摂理からずれてしまう、
そういった意味で、「摂理的視点」
お母様がどのように見つめておられるのか、
そのことを考えないといけないと思います。

(文責:ten1ko2)



ノエル・ジョーンズ司教は、
何より、真のお母様を信徒たちに会わせたかったのだ、
素晴らしいことだと思います。

空中ブランコの話は、
以前も何回か取り上げましたが、
私たちもハッとする内容です。

結論から言えば、時代が変わった、ということ。
すなわち、先天時代から後天時代に変わり、
成約時代から、天一国時代に変わりました。

目に見える形では、ハッキリと変わっていないかも知れないけれど、
神様の摂理が変わったのです。

そのことを認識していかなければ、
かつてクリスチャンたちが、ユダヤ人を批判したように、
また、私たちがクリスチャンたちに対して、
「真の父母様がわかっていない」と非難するように、
今、お母様が願われていることに対して、
受け止めることが出来なくなるのではないか、
そのように思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:08 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする