大知(おおとも)先生 「氏族伝道の心理学」より
続編です。
☆
不安や怒りが大きくなるのは、どんなときでしょうか。
それは、否定的な環境やメッセージの中に置かれたときです。
否定的な環境とは、その人にとってマイナスの環境、
例えば、家族関係が悪くなる、病気になる、
学校の成績が下がる、仕事がうまくいかなくなる、
お金がなくなる(借金が増える)、
事故や犯罪に巻き込まれる、戦争になるなど、
身近なところから、社会全体が不安定になることまで、様々です。
また、否定的なメッセージとは、
「なにやっているんだ!」、
「そんなことをして駄目じゃないか!」、
「何回も同じ失敗をして……」、
「もう関わらないでくれ!」、
「そばに来ないで」など、
怒られたり、あるいは無視されたりするなど、
人格を否定されるような内容のメッセージです。
こうした否定的な環境やメッセージの中に置かれると、
人は誰でも不安を感じ、怒りが高まります。
☆
逆に、肯定的な環境やメッセージの中におかれると、
不安や怒りは小さくなります。
肯定的な環境とは否定的な環境の逆で、
家族関係が良くなる、健康になる、
成績が上がる、仕事がうまくいく、
お金が入る、世の中が平和になる、などなどです。
また、肯定的なメッセージとは、
「すごいね、やればできるね」、
「今までどおりにやれば大丈夫だよ」、
「あなたのおかげです」、
「良い人ですね」、
「一緒にいると楽しいですね」など、
理解してもらえた、受け入れられたという感覚を
もつことができて、人格を評価してもらえるようなメッセージです。
こうした肯定的な環境やメッセージの中に置かれると、
不安や怒りは小さくなり、穏やかな気持ちになれ、安心できます。
☆
ではなぜ、否定的な環境やメッセージは不安を高めるのでしょうか。
否定的な環境やメッセージは、
その人の「自己評価」を下げてしまいます。
自己評価とは、何かに対して、
「私は能力がある」とか、「乗り越えられる」とか、
「やればできる」などといった感情です。
否定的な環境やメッセージを受けると、
「私では駄目なのではないか」とか、
「自分にはふさわしくないのではないか」
などといった思いが強くなってしまいます。
そのため、状況に対して改善できるという見通しを
もてなくなり、不安が大きくなってしまうのです。
☆
逆に、肯定的な環境やメッセージは、
自己評価を上げる働きがあります。
具体的には、「私にはできるはず」とか、
「私もOK」などといった感情をもてるようになるということです。
☆
ちなみに、カウンセリングの中で、カウンセラーは
クライアントに対して、常に肯定的に関わろうとします。
カウンセラーの態度として最も重要なものの一つに、
「無条件の肯定的配慮」をもってクライアントと接する、
ということがありますが、こうしたカウンセラーの態度は、
クライアントの自己評価を上げ、
不安を軽減させていくという効果があります。
皆さんも、相談をしに来た人に対して、
怒ったり、否定するようなことを言ったりするのは極力しないでください。
たとえ相手を励ますつもりであったとしても、
多くの場合、相談に来た人の自己評価を下げ、
問題の解決をますます難しくしてしまいます。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
自己評価と自尊感情
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
自己評価と自尊感情
☆
人間という存在は、生きているだけで、
『神様に愛されている』のですから、
人にとやかく言われたり、環境が変わっても、
そのことに主管されること自体が、
本来の物事の捉え方ではないと思います。
しかし、神様は目に見えないし、
直接語りかけてくださるわけではないので、
現実的なこと、目の前のことに振り回されてしまう、
そんな私たちなのだと思います。
また、大知先生のおっしゃられるように、
人に対しても、マイナス的なところが見えてしまい、
課題を指摘する『私』になることがあったりします。
「原理と言うのは、自分に適用するのであって、
人に適用するのではない、
そうすると、要求とか裁きになってしまう」
これは本部の講師の言葉ですが、
本当にそうですよね。。。
私もある方にアドバイスしているつもりで、
いろいろとコメントしていたら、
「あなたの言っていることは、
カウンセリングではないですね」
そのようにハッキリと指摘されて、
自分の足りなさに幻滅したことがあります。
み言とは、(伝道ということを抜きにして)
人に教えるものでなく、
自分自身で実践するものである、
そのことを痛切に感じます。
肯定的メッセージを
常に語れる私にならなければ・・・
続きは、のちほど。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)