浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、「中間霊界の様相」です。
☆
それでは、中間霊界という霊界はどのような霊界でしょうか。
一言で言えば、労働霊界と言っても過言ではありません。
働く霊界です。
死んでからも働くというのは、
ちょっと考えられないかもしれませんが、
この中間霊界という所は、この世とあまり変わりのない霊界です。
☆
労働するということは、職場があることを意味します。
霊界にも職場があります。
職場には様々な労働条件がありますが、
中間霊界の場合は、比較的職場が少ないのです。
そのためにあまり自由に職場の選択ができません。
もし一つの職場を辞めたならば、新しい職場に行こうとしても、
なかなか気に入った職場を見つけるのが難しいのが中間霊界です。
ですから転職というのは非常に難しく、
常に失業の不安に駆られながら生き続けるのです。
自分の適性や趣味に合わせていく職場は少ないために、
嫌々ながら、気の合わない上司と共に生きなければなりません。
かといって、そこを辞めたならば、
転職が難しいため失業の不安に駆られながら生きる霊界です。
☆
またこの世では、仕事を一生懸命して
貯金をすれば生活の向上が可能ですが、
中間霊界ではいくら働いても生活は向上しません。
中間霊界で一生懸命に働いたからといって、
より高い霊界に行くということはあり得ないのです。
ですから、生き甲斐(がい)もありません。
死もなく、老後もなく、退職金もなく、永遠に働き続ける世界が中間霊界です。
☆
しかも、そこに勤めている職場の人間たちは、
善良な自己中心者ですから、働いている人たちのために
心を砕き、心配する人はいません。
みな自分のために働いているので、
他人を気遣って生きる人などいないのです。
無味乾燥なおもしろみのないのが、中間霊界です。
もちろん、職場というのは、
この世と変わらず分業形式になっていますから、
例えば食堂であるならば、食事を作る人、
またウエートレスやウエーターのように食事を配膳する人、
また食器を洗う人など、様々な職種に分かれています。
☆
中間霊界は希望を全くもっていない人の集まりです。
神様や霊界や天国を信じない人たちが集まる所が中間霊界です。
天国を信じない人が、死んだのちに
急に天国を信じるようになるでしょうか。
それはあり得ないのです。
生前中に培った一つの信念、人生観は霊界に行っても、
そのまま持ち続けるのです。
「天国はあり得ない」と思って死んだのですから、
霊界に行っても天国を信じません。
死んだ先の中間霊界で、「この世と変わらない、
働くだけの世界ではないか」と思って絶望するのです。
その上に天国があるということは信じられません。
永遠に働き続けなければならないと思うので、
向上心や、天国に対する希望を持ち合わせていない人たちの集まりなのです。
希望のない、理想のない、おもしろみのない、退屈な、働く世界が中間霊界です。
☆
スウェーデンに生まれた、当時、ヨーロッパ最大の学者であり、科学者であり
思想家であった、エマニュエル・スウェーデンボルグ(1688〜1772)が
霊界に入って、霊界の様々な様子を著した本があります。
その本にスウェーデンボルグが中間霊界を見てきたことが記されています。
それによると、大きな草原にいくつもの町や村があり、
そこを訪ねていってみると、不思議なことに、
町中の家がみな同じような形をしており、材質も同じであり、
住人の顔つきも同じだというのです。
これは、中間霊界というところは、
同じ性格の人たちが一つの集落をつくるためと考えられます。
最初は気が合うかもしれませんが、同じタイプの人が
何百年、何千年と一緒に過ごさなくてはならないので、
やがておもしろみもなく、退屈してしまうというのです。
このような世界が中間霊界です。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
☆
中間霊界は、地上と同じように、仕事をするところだといいます。
ただ、同じように見えても、違うのは、
霊界というのは、永遠な世界ですから、
仕事をずっとやり続けるということですね。。。
地獄の世界は、実に悲惨な世界ですが、
中間霊界も、決していい世界であるとは
言いにくいと感じます。
辛うじて罪は犯さなかったので
「善良」とは言われているものの
良いことをするわけではなく、
人のために生きなかった人たちの集まりです。
どれだけ希望がない世界でしょうか。
知れば知るほど、み旨にいるということ、
神様を知った人生を送っているということ、
このことがどれほど素晴らしいことか。。。
本当に感謝でしかないと思うのです。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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