田中地区長の『摂理的視点』。
今日は、地区長ご自身の
貴重な証しを紹介します。
☆
日韓の問題を語るとき、忘れられない出来事があります。
お父様が摂理を起こした国際キリスト教学生協会ICSA。
韓国から2千名のクリスチャン学生を迎えて、
日本のクリスチャン学生と国際交流させる、そんな企画があり、
1982年から7年間、そのみ旨をしました。
クリスチャン学生を探す⇒教会の牧師に許可を得る⇒日韓歴史教育(半分は去る)
このようにして、日本の学生を準備し
年にツアーが3回あり、1回のツアーに、70名ずつ三陣が
韓国からやって来ました。
そのとき、絶対に連れて行くように、という場所がありました。
広島原爆ドームのある、広島公園の
お堀の傍の狭い土手に、韓国人の原爆慰霊碑がありました(当時)。
2万名の韓国人が被ばくしたといいます。
日本人は公園の中に葬られていますが、
この慰霊碑は、自分たちでお金を出して立てたものです。
日本に連れてこられ、原爆の被害に遭いながら、
戦争が終わったから日本人じゃないという…。
そこに連れて行くと、韓国学生たちは、突然泣き叫び始めます。
砂利を激しく叩き、血だらけになりながら。
そして、「あなたはどう思う?」と必ず聞かれるのです。
日本の学生たちは、何も言えない、
黙って一緒に泣くしかない。
このような一つの峠がありました。
☆
忘れられないのは、引率の一人、ある韓国のクリスチャン教授のことです。
1982年当時、60数歳と言えば、日本語が堪能なはずです。
ところが、6日間、日本語を話せるのに絶対話しませんでした。
相当日本を恨んでいるな、とわかりました。
ところが、歓送会で、日本の5人の学生に向かって
初めて日本語で語り始めたのです。
(70名の韓国人は通訳で聞いた。)
非常に印象的な話でした。
「私は、生涯クリスチャンとして生きてきた。
右の頬を打たれれば左の頬も出し、
下着を出せば上着も与えなさい、いつもそうしてきた。
人生に一点の曇りもない。
しかし、日本人に対するこの思いだけは、
これを許さないという神ではないだろうと思っていた。
これだけは許してくれるとずっと信じて生きてきた。
ところがここに来て皆さんに触れ、神は日本も愛していると知った。
私は本当に神の前に悔いた。
神は自分を見て、どれほど心傷めていたか。
だから、私は日本を赦す努力をします」
彼にとって、新しい神観との出会いだったのです。
大きな転換でした。
5人の日本人学生と寄り添い、ずっと見ていて、
彼の神観にまで変化を与えました。
☆
韓国人が日本人に対して、思う思いは、
「歴史を知らない。知ろうともしない。。。」
実際、日本では歴史で一切教えません。
近代史の(理解)が薄くなってきている。
日本は確かに(日帝時代、朝鮮に)大切なものを提供はしましたが、
その動機はあくまで日本のためでした。
大きな越えねばならない壁があるのです。
向こうの立場に立って接していけるか、
歴史を知らないとできません。
政治に反映されれば、なおいいけれども、
少なくとも我々は、父母の視点に立たなければなりません。
田中富広 副会長(地区長)
2019.4.28 松戸家庭教会「摂理的視点」
(文責:ten1ko2)
2019.4.28 松戸家庭教会「摂理的視点」
(文責:ten1ko2)
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クリスチャン教授の証し、
本当に身につまされるお話ですね。。。
恨んでも当然だろう、というひどいことを
日本はしてきたわけです。
「許す努力をする」と言われたのも、
簡単なことではなかったことでしょう。
そして、韓国人原爆犠牲者慰霊碑のこと、知りませんでした。。。
写真にあるように、1991年7月から公園内に移設されている、ということですが、
それでも毎年行われる広島平和記念式典において、
この慰霊碑に追悼する日本人はどれくらいいるでしょうか。
私たちは、韓国の反日教育に対し批判をしますが、
逆に言えば、日韓の歴史に対して、
どれくらい本当のことを知っているのか、と言えば、
これもまた、疑問符が残ります。
いずれにしても、過去の清算、というのは、
謝罪、とか金銭的なもの、とか、
さらに言えば、国際法上の問題とかよりも、
霊的な、心情的な問題の整理、というのが、
より重要になってくるのではないか、
そのように思わされています。
清算の道、に対しては、次回お伝えします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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