浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、『楽園と中間霊界の違い』をお伝えします。
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さて、中間霊界の上、天国のすぐ下に楽園という霊界があります。
「天国の待合室」とも言うべき霊界です。
愛と自分の思いによって、衣食住のすべてが、
働かなくてもつくることができるのが、天国であるのに対し、
楽園という所は、天国ではないので、
思っただけで衣食住はできません。
やはり労働が必要なのです。
その意味では中間霊界と似ていますが、この労働条件が
中間霊界よりもはるかに良いので、「楽園」と言うのです。
いわば、楽な労働で豊かな生活ができる所が楽園なのです。
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そこで、楽園の労働条件について述べてみます。
まず中間霊界と比べて職場の数、種類が大変多いということです。
そのため、職業の選択ということがかなりできるので、
一つの職場が気に入らない場合は、
そこを辞めて新しい職場に転職することが可能であり、
あまり失業の不安はありません。
自分の趣味や適性に合わせて
自由に職場を選択できるという、楽な労働条件があるのです。
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また中間霊界においては、ほとんど働きづめで労働時間も長く、
休暇もあまりありませんが、
楽園は労働時間が短く、休暇が多いのです。
その意味では大変楽な霊界ということができます。
その上、例えて言えば月給、時給といった、
働いたことに対する報酬が中間霊界よりもはるかにいいので、
比較的豊かな生活をすることができます。
ここには数多くの生産工場がありますが、
この世の経済システムと、楽園の経済システムの大きな違いは、
産地直結、工場直結です。
この世では工場で作った物は、卸売店を通して、
小売店で、消費者がそれを買うのが一般的ですが、
楽園の場合には、卸売りや小売りがありません。
作っている所で物を手に入れ、産地で物を手に入れるようになっています。
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しかもこの楽園を見た人の報告によると、
とても不思議なことがあります。
例えば衣料品の工場では、生地をたくさん仕入れて加工し、
着物や服を作るのですが、普通であれば、
服を作ったならば、原材料、すなわち生地は使った分だけ減るはずです。
ところが不思議なことに楽園では、
生地をどれだけ使っても山のようにあり、
生地は減らず、腐りもしないというのです。
ですから品切れということがありません。
そのため仕入れにおいては、ほとんど苦労がありません。
品切れがないので、自分の気に入った服がないということはあり得ません。
そういう意味では、自由に衣食住の生活を、
自分の思いどおりに手に入れることができるのです。
しかも職場の人たちは、人間関係の良い人ばかりです。
人のために尽くし、人に憐憫(れんびん)の情を尽くす人が社員となっているので、
何か困ったことがあれば、自分の物をその人に分け与えていく、
いわば職員同士が物々交換をして、
必要な物を交換し合うという世界でもあるわけです。
☆
さて、この楽園と中間霊界とを比べて最も大きな違いは、人生観です。
中間霊界は天国を信じない人の集まりなので、希望を全くもっていません。
ところが楽園の人たちは天国を信じています。
神様を信じ、天国があることを信じているので、
天国に行くために、自分たちは準備をしているのだ、
という希望と理想をもっているのです。
ここが中間霊界との大きな違いです。
楽園という所は、比較的労働条件が楽で、
天国を信じ、それを目指しながら
希望をもっている人たちの集まる霊界なのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
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再臨主が現れるまでは、楽園が最高だったわけですから、
別格に素晴らしい場所に違いありません。
中間霊界とは、比べ物になりませんね。
霊界では、相対基準の合う人と生活するので、
そういう意味では、楽園は信仰を持ち、
人格的な方のいるところですから、
いい雰囲気の中で生活できるのだと思います。
ただ、いつまでも天国には行けない、
つまり神様の許に行けない。。。
本当の喜びとは、かけ離れているのではないでしょうか。
「天国の待合室」生活、
いいようで、寂しい気がしてしまいます。
いずれにしても、私たちの地上での生活、
どのような霊人体を形成したのかが、
霊界では、問われることになると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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