浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、『善い先祖の二つのタイプ』です。
☆
善い先祖は、子孫である私たちの幸せのために
労を尽くしてくださる方々です。
この善い先祖の生前の性格というのは、第一に
「損得を抜きにして人のために尽くす」性格だったということです。
言い方を変えれば、計算高い人たちではありません。
これ以上尽くせば明らかに損をしてしまうことを承知で
人のために尽くした人なのです。
そのようにしか生きることができない性分をもった人たちなのです。
多くの財産があったとしても、私財をすべてはたいて、
地域の発展のために尽くして、大変貧乏になったとしても、
それが喜びであり、感謝であると思う人です。
村八分になるような悪人に対してさえ、多くの施しをなして、何の見返りもなく、
感謝されなかったとしても、また施しをしてしまう人です。
それが善なる先祖の方々です。
このような性分をもって霊界に行かれたので、
死後においても、報いを求めず、
子孫の幸せのために尽くしてくれるのです。
☆
さて、善なる先祖のもう一つの性格は、
「感謝の心」をもっていたということです。
人のために尽くし、人のために苦労するということは、
決して楽なことではありません。
時として、尽くした相手から感謝もされず、罵倒される場合もあります。
それでも人のために尽くすことは、
とても感謝なことであると、心から思った人です。
自分の命は人のために尽くすためにあるのだと、
感謝の思いで生きた人たちが、善なる先祖の方々です。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第五章 先祖の働きと人間の幸・不幸
善い先祖の二つのタイプ
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第五章 先祖の働きと人間の幸・不幸
善い先祖の二つのタイプ
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私の先祖はどうかな・・・
そんなことを思わされました。
み言を聞いて、受け入れることができた、というのは、
それだけ先祖の功労があったと思うし、
そういう意味では心から感謝していきたいです。
ただ、先祖の皆様には大変失礼かと思いますが、
二つのタイプに当てはまるような、
そんな先祖が多くおられたのかは、疑問ですね。。。
そうはいっても、私自身もいずれは『先祖』になるわけです。
やはり、後孫に恥じぬ人生、
いや誇れる人生を送らなければならない、
そのようなことを思わされます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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