金元弼先生の
『神は約束を守る』今回が最終回です。
☆
(お父様と違い)私たちはどうでしょうか。
より上の立場の人は遅れるのが普通だと思うし、
それが権威あるものと考えています。
先に来るのは下の者だと考えるのです。
皆さん、そういうことはありませんか。
約束を守らなくても、何の呵責も感じないでしょう。
私たちがそうだから、メンバーもそうなるのです。
にもかかわらず、メンバーが遅れたら、「なぜ遅れたのか」としかります。
先生は、こういう外的な時間の約束もそのようにされるとするならば、
私たちは永遠なる生命を懸けての約束に対しては
どうすべきか、考えてみてください。
☆
足の折れた朴正華さんのことを聞いたでしょう。
先生が牢屋から出られて、平壌に帰られた時には、
その人は足を打たれて骨が折れて歩けない状態でした。
彼は自分のお姉さんの家に一緒にいて治療していたのです。
そしてお姉さんの家庭が避難する時に、
足が折れている彼を連れていくことができないので、
置いたまま行ってしまったのです。
一人で残されたら殺されてしまいます。
それで先生は心配して、彼の故郷まで問い合わせて、
居所を調べ出しました。
そして私が彼を連れてきて、先生に会わせました。
その後、その太った人を自転車の上に乗せて連れてきたのです。
☆
ところが、先生の愛する母親、父親、兄弟姉妹は
全部、北におられました。すぐ近くの所でした。
しかしその人たちを連れてこないで、朴さんを連れてきたのです。
そういうことは、できることではありません。
先生は神との約束を守ったのです。
朴さんとの約束を生命を懸けて守ったのです。
☆
約束というものが、どんなに難しいか分かると思います。
世の中のすべての問題は、約束を守らないことから起こるのです。
そして、いつも考えなければならないのは、
約束はお互いが幸せになるためのものだということです。
それゆえに、約束をする時には、一方的にしてはいけません。
☆
ややもすればリーダーになった人は、
一方的に約束を強要することがあります。
そうではなくて、相手を「そうしましょう」という立場に
必ず立たせて約束をするのです。
ですから必ず相手の話を十分に聞くようにしてください。
皆様はいいアイデアをもっていて、
教会員が全然頭も上がらないような人であっても、
教会員の意見を先に聞いて、それから自分の意見に納得させ、
「それじゃ、私の考えよりも、あなたの考えはもっといいです」
という立場に立たせて話していくのです。
自分がしたくてしたような立場に立たせなければなりません。
そうでないとプッシュされたという印象を与えます。
プッシュというのは、自分の意志がないということです。
☆
(*冒頭の写真はイメージです
南下中の避難民の写真であり
真のお父様と朴正華氏ではありません)
南下中の避難民の写真であり
真のお父様と朴正華氏ではありません)
真のお父様と朴正華氏の証し。
思わず胸が熱くなりますね。。。
人の情を考えたら、
到底理解できないようなこと、
そのことを全うしていかれたお父様は、
何よりも神様を愛し、
神様との約束を最優先していかれたのでした。
約束を守ってもらうこと、守ること。
二つとも重要です。
守ってもらえない時には、要求の思いになったりするし、
自分が対象の立場に立った時、
その約束の重要性を軽んじてしまい、
また、主体の思いに立てない時があり、
約束を守れなかったりすることがあります。
どちらも反省しなければなりませんが、
やはり、神様を中心にしないといけないのだと思います。
お父様のように、
物事の大前提が神様であるということ、
私たちも相続しなければなりませんね。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)