浅川先生の霊界シリーズ。
楽園編の続編です。
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それでは、楽園に行くのは、どのような生き方をした人なのでしょうか。
これも整理してみると、三つのタイプがあります。
最初のタイプは、人のために尽くしても苦にならなかった人たちです。
計算高い生き方をしなかった人です。
尽くした結果が出なくても、さしたる見返りがなくても、
なおまた尽くしていった人たちです。
損をしたかのように見えても、損と感じずに、
人に尽くすことが性分となった人たちです。
これが第一のタイプです。
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第二は、愛する立場において、民族とか国境を超えた人たちです。
日本人は日本を愛します。
これを愛国者といいますが、楽園に行く人たちは、
国を超えて他の国の人たちを愛した人たちです。
いわば、愛が国境を超えた人たちが
中間霊界の境界線を越えて楽園に入ることができます。
愛が国境を超え、愛が民族を超えた場合に、
より高い霊界に行くというわけです。
言うならば、人類愛を実践した人たちが、楽園という霊界に行くのです。
マザー・テレサ、シュバイツァー博士はヨーロッパの人ですが、
マザー・テレサはインドの人たちのために生涯を捧げ、
シュバイツァー博士はアフリカの人たちのために生涯を捧げました。
いわば愛によって国境を超えた人たちです。
このような人たちが楽園という霊界に入ることができるのです。
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第三のタイプは、天国を信じた人たちです。
神様が天国という素晴らしい霊界をつくってくださり、
人間が死後、天国で永遠の幸せを享受することができると、
一点の疑いもなく信じて生涯を終えた人たちです。
このような人たちは、死後も天国を信じ続けていくのです。
ですから楽園は、いつも天国を信じ、
希望をもって生きている人たちが住んでいる所です。
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この三つのタイプ、天国を信じ、国境を愛でもって超え、
人のために尽くすことが苦にならなかった性分をもった方々が
楽園に入っていくのです。
神様を父として愛し、人類を兄弟姉妹として
自分の生命を惜しまず愛した人たちの行く霊界が楽園です。
このような愛の生涯を最も気高く生きた人が
イエス・キリストでした。
したがって、楽園とはイエスを信じて
「敵をも愛する」という愛を体得した人たちが、
天国を待ちわびる霊界といえます。
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整理すれば、最上級に天国があり、
その下に天国の待合室としての楽園があり、
その下に中間霊界があり、
その下に地獄という霊界があります。
おおむね四つの霊界があり、
私たちの先祖、あるいは既にこの世を去った人たちは
この四つの霊界のいずれかに行っていることになります。
そのすべては、死んでから決まるのではなく、
生きている間の言動と、生前に培った性格、心根によって決まるのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
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昨日も徳野会長のみ言で紹介したように、
地上の人生をどのように過ごすのか、
それが永遠の世界を決定していくのです。
一生はとても長いように思いますが、
それでも永遠の世界を考えたのなら、
ほんの一瞬にしか過ぎません。
イエス様の基準を求める人生は、
決して簡単ではないと思います。
いわゆる、義人、聖人の道ですね。
しかし、私たちは、真の父母様を知っています。
そして、真の父母様に侍る生活を送ることで、
畏れ多くも、真の父母様がおられるところと
同じところに行くことができる、というのです。
改めて、真の父母様に心から感謝いたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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