昨日は南アフリカサミット開会式が行われ、
祝福式など大きな行事が成される予定だということです。
さて、今日は、ノエル・ジョーンズ司教や
日韓関係の話を通じて、
真の父母様の「摂理的視点」を、
分かりやすく教えてくださった
田中地区長の礼拝のメッセージ。
最後の結論部分を紹介します。
☆
来年2月6日、時を定めて、5日間キンテックス10万名の会場を借りてあります。
すべて神統一韓国に向けて
韓国の扉を開くということに、全エネルギーを注ぎますから、
国際会議から祝福式まで、すべて同会場で行います。
韓国政府が動かざるを得ない環境圏を作るのです。
世界的な勝利圏を全部ソウルに結集し、そのまま北に進んで行く。
お母様の最後の勝負をかけた内容です。
今年、私たちもそこに向けてすべての取り組みをしていくのです。
自分がやれるかというレベルではなく、
自分の取り組みが小さくても大きくても、
お母様の摂理と連結しているという意識でやらなければ、
個人主義的になりますよ。
「神氏族メシヤ、無理!」(笑)と言ったら、その人は終わりです。
(たとえ無理と言ったとしても)その使命はあるので、
一歩でも近づく闘いをしなければだめです。
☆
アブラハムが、鳩を裂かなかったため、
イサク献祭をもう一度立てることが可能だったのは、なぜでしょうか。
アベルの信仰基台の精誠と、
ノアの精誠の条件をもって機会が与えられたのです。
(神は)2000年前、400年前の条件を、天に貯金として持っていて、
この時に使いました。
精誠は、例えば神様の貯金通帳にみんながためて、
ある一定額をどうどこで使われるかは神が決めることと、
委ねるのです。
私に決める権利はありません。
私に恩恵がこないから使われていないのではないというのです。
もし一億円分の精誠が必要だったとして、ある人は大きくできるかもしれない、
あと1円足りないとき、小さな女の子がお小遣いを入れる、(チャリン)
・・・それでも同じです。
国を動かすためには、全員が同じ通帳に入れるという結実です。
一歩でも前に。。。
ここに背を向けたらだめ、
1円でも貯金通帳に入れていくという
その結実として、国が動くのです。
☆
お母様の前には、神氏族メシヤしかありません。
実際、430双といっても、その430双の人たちがみな
430双を目指していったとしたら、人類が足りなくなってしまう、
だから、みんなが入るのは不可能ではあります。
神氏族メシヤの目的は国家復帰です。
もしも(天一国の)国が立ったとしたら、
その国民は、全員天国に行くのです。
結婚式は祝福結婚だけ。
葬式は聖和式だけ。
天の伝統にかなった生き方しか許されない国となります。
国を立てるための神氏族メシヤなのです。
完了家庭ではなく、完遂家庭430家庭といえば、
今日の礼拝の人数よりずっと多いですから、もう教会長(基準です)。
完遂家庭が12家庭いれば、国が動くといいます。
これは、(お母様だけでなく)お父様もおっしゃいました。
その勝利者がどのレベルになるかによって、
その範疇の人も一緒に救われるのです。
こういう流れを理解し、だからといって(12家庭でいいなら)
私がやらなくていいというわけではありません。
そして、今は天寶(宝)苑搭載に向かっているわけだから
父母の思いなら、一歩でも近づいていく。
そういう姿勢をしっかりもっていないと、父母の心情とは関係ない、
悪く言うと、自己中、自分を中心とした価値観になってしまいます。
神氏族メシヤに向け、いかなければ、天とは関係なくなるのです。
☆
430代の何千名、先祖の一人がいなくても、私たちはいませんでした。
先祖から見れば、みんな同じ悩みをもっているのです。
永遠に生きなければならないのに、何のために生まれたかわからない。。。
私たちが真の父母につながることを通して、
先祖たちに初めて存在価値が与えられました。
私たちを生み出すため、という。
生まれる意味まで与えられるたのです。
私たちが神氏族メシヤ、摂理に関わることが、
先祖の解放につながります。
(これが)最高の神氏族メシヤの由縁です。
そのことを心に留めて、果敢に挑戦していってほしいと思います。
教会長ご夫妻を中心として、
孝情の花咲く教会となってもらえれば幸いです。
田中富広 副会長(第1地区長)
2019.4.28 松戸家庭教会「摂理的視点」
(文責:ten1ko2)
2019.4.28 松戸家庭教会「摂理的視点」
(文責:ten1ko2)
☆
これも妻がまとめてくれたものです。
田中地区長のみ言ではありますが、
改めて訓読しながら、
神様のメッセージだな、と感じています。
また、真の父母様の切実なる願いが、
神氏族メシヤの勝利である、ということも感じます。
縦横、ともに取り組むことが
天一国実現のために
同参しているのだ、と自覚を持ちつつ、
希望と喜びをもって、
一歩でも前進していきたいです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)