大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」。
あるがままの自分を受け入れ
私はそこに存在してもいいという確信をもつ。。。
そのような「自尊感情」をつくるのは、
子供時代の環境、特に親からの愛情が大きいといいます。
今日はまず
俗に言う、『アダルト・チルドレン』についてです。
☆
子供時代に親からの愛情を十分に受けられなかった、
あるいは両親の離婚などといった、
その子供にとって否定的な環境やメッセージがあると、
自尊感情は低くなります。
子供時代に親から適切な養育を受けられなかった状況で
育った人たちは、大人になってから人間関係に
様々な困難を抱えることが多いことが明らかになっています。
機能不全家族の中で育って、こうした困難を抱えている人たちは、
「アダルト・チルドレン」と呼ばれています。
以下に、アダルト・チルドレンの特徴を簡単に挙げておきます。
さらに詳しく知りたい方は、
様々な本が出ているので、入門的な本から読まれることをお勧めします。
☆
〈アダルト・チルドレンの特徴〉
・自分の判断に自信がもてない。
・常に他人の賛同と称賛を必要とする。
・自分は他人と違っていると思い込みやすい。
・傷つきやすく、閉じこもりがち。
・孤独感。自己疎外感。
・感情の波が激しい。
・物事を最後までやり遂げることが困難。
・習慣的に嘘(うそ)をついてしまう。
・罪悪感を持ちやすく、自罰的、自虐的。
・過剰に自責的な一方で無責任。
・自己感情の認識、表現、統制が下手。
・自分にはどうにもできないことに過剰反応する。
・世話焼きに熱中しやすい。
・必要以上に自己犠牲的。
・物事にのめり込みやすく、方向転換が困難。
・衝動的、行動的。そのためのトラブルが多い。
・他人に依存的。または逆に極めて支配的。
・リラックスして楽しむことができない。
☆
では、(自尊感情が低くなり、
アダルト・チルドレンの要因ともなる)
親からの否定的なメッセージというのは、
具体的にどのようなものでしょうか。
最も子供を傷つけるのは、親の怒りです。
すでに述べたように、怒りは破壊衝動を強く伴う感情ですから、
親の怒りは子供の心や人格、尊厳性を破壊していきます。
ですから、自分に自信がもてない自尊感情の低い子供になってしまいます。
怒りよりももっと子供を傷つけるのは、親の無関心です。
マザー・テレサは、「愛の反対は憎しみではない、無関心だ」
という言葉を残しています。
☆
小さい子供にとって、親は世界のすべてです。
親から関心を向けられない子供は、
全世界から関心を向けられていないのと同じです。
ですから、その子自身の存在価値が
否定されているのと同じことを意味しています。
親から関心を向けられない子供たちは、
悪いことをしてでも親の関心を引こうとします。
悪いことをすれば、親は子供を怒ります。
無視されることは、怒られることよりつらいことです。
ですから、親から関心を向けられない子供たちは、
わざと悪いことをして、親や周囲の大人の関心を引こうとするのです。
☆
どのようなときに、親は子供に無関心になるのでしょうか。
それは、親自身が不安でいっぱいになったときです。
不安になると、自分のことで手いっぱいになってしまい、
周囲に関心が向かなくなります。
ですから、親が不安でいっぱいのときには、
子供に関心を向ける余裕がなくなってしまうのです。
つまり、子供に対する親の否定的なメッセージである怒りと無関心は、
親自身のもっている「不安」と「怒り」に原因があるということです。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
「アダルト・チルドレン」
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
「アダルト・チルドレン」
☆
家庭環境、特に親の愛情、というものが
人間形成にとって、あまりにも重要なのだと思わされます。
一概には言えませんが、
巷で起きている犯罪の多くは、
アダルトチルドレンの人たちが、起こしている、
そのように言っても、過言ではないと思います。
ですから、真のお父様が、
『家庭は愛の学校』と語られましたが、
本当にその通りだと思います。
学校では、「愛」を教えてはくれない。
「愛」を学ぶ先生は、
お父さんであり、お母さんです。
そういった意味では、
真の愛を教えてくださる
真の父母様の存在がどれほど重要でしょうか。
そして、私たち自身も、
真の父母様を見習い、真の愛の実践を
家庭においてしなければならない・・・
そのことを痛切に感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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