浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、「天から問われる三つの質問」です。
☆
人は死後、天より、大別すれば三つの問いを受けるようです。
死後、人が体験するであろう内容を
「臨終列車」という例えで述べてみましょう。
臨終の間際になると、多くの家族や親族が集まってきます。
息が絶え絶えとなって、死が目前に迫ったとき、
一台の列車が近づいてくるというのです。
長い車両の列車ではありますが、その列車にはだれも乗っていません。
ただ一人、その人だけが列車に乗ることになるのです。
やがてこの列車は静かに走り出します。
前の車両にも後ろの車両にもだれも乗っていません。
窓から、自分の臨終を見送る人たちの光景が見えます。
その後突然、幼いころからの自分の人生のすべてが、
窓の外の光景として映ってくるのです。
生涯を通してたくさんの人と出会いました。
ある人は泣きながら、ある人は笑いながら登場します。
しかししょせん、汽車の窓から見る光景にすぎません。
だんだん列車は速度を速めていきます。
すべての人生の光景は矢のように去っていきます。
☆
そして、「臨終列車」は速度を落として、
やがてその人のためのプラットホームに停車します。
死のプラットホームに、たった一人で列車から降りなくてはなりません。
プラットホームにはだれもいません。
大統領のようにたくさんの人から歓送された人であっても、
死のプラットホームに降りる時はたった一人だけです。
だれも彼の人生を弁護もしなければ、応援もしません。
ただ一人、その死のプラットホームに立ちすくむのです。
☆
そこに、天から三つの質問が語りかけられます。
第一の質問は、「あなたはだれのために生きたのか」という質問です。
それに本心から答えなくてはなりません。
だれも代わりに答えることはなく、偽りで答えることもできません。
「あなたはだれのために生きたのか、答えなさい」
こういう問いが発せられるのです。
☆
第二の問いは、
「あなたの人生は何のためにあったのか、
何のためにあなたは生きたのか」と問われるということです。
三番目は、
「あなたは何を地上に残してきたのか」と問われるのです。
「だれのために生きたのか」、
「何のために生きたのか」、
そして「何を残してきたのか」という問いに、
たった一人で、正直に、本心から答えなくてはなりません。
☆
これが、たった一人で死のプラットホームに立つ
人間のありさまだと言えるのです。
この三つの問いに対する答えが、人生のすべてであり、
その答えによって、人は自分にふさわしい霊界に行くことになるのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
「天から問われる三つの質問」
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第四章 中間霊界と楽園の様子
「天から問われる三つの質問」
☆
地上生活では、自分の心の中、
本心は自分にしかわからないので、
誤魔化すことができるかも知れません。
しかし、霊界では、本心が露わになるので、
取り繕うことができないのです。
本心から、天の父母様、真の父母様のために、
み旨を歩んでいることを改めて問われると思いました。
真の父母様が、一挙手一投足すべてを
天の父母様を中心にして生活しておられるように、
私たちも、常に天の父母様、真の父母様を意識して、
生活していかなければならないと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)