大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」。
『不安と怒り』続編です。
☆
心の病、心の問題を考えていくと、
その背景には、その人の不安と怒りがあり、
さらにその背景には、自己評価の低さと自尊感情の低さがあり、
さらにまたその背景には、その人の親がもっている
不安と怒りがある、ということを理解していただけると思います。
つまり、私たちの心の問題は、
親がもっていた心の問題から来ているということです。
「家族文化は継承される」という言葉があります。
虐待されて育てられた子供は、
自分が親になったときには、自分が育てられたようには
子供を育てたくない、と考えます。
しかし、そう思いながらも、自分自身の子供を
虐待してしまう、そうした虐待の連鎖も、家族文化の継承の一形態です。
☆
ここで、再度不安と怒りについて、考えてみましょう。
神様の喜怒哀楽に似せて創造された私たちの心には、
不安は良心作用として、
怒りは、向かってくる脅威に対する
防衛と適応のメカニズムとして、
堕落前から創造本性として私たちの中に存在していたものです。
しかし、堕落した否定的な環境の中で多くの心の傷をもつようになり、
自尊感情が低くなってしまい、
知情意が未熟なまま変形して成長してしまいました。
そうした中で、良心作用が過剰に働いて
変質した結果が不安であり、
自分が脅かされるかもしれないという不安の中で、
防衛反応が過剰に働いて、自分を守るために
相手を破壊するような衝動にまでなってしまったのが、怒りです。
先に引用した『怒りの無い人生』の中に、次のような一文があります。
「精神的な怒りの多くは、根底には愛を求める感情があります。
そして、愛が得られない怒りによって、
求めているはずの愛をさらに壊していくという
闇が、人間の心にはあります」。
☆
私たちの怒りは、誰に一番向けられやすいのでしょうか。
多くの場合、身近な人に向けられます。
男性であれば妻であり、女性であれば夫です。
また自分の親や子供たちにも向けられます。
他のお年寄りであれば、優しく接してあげられるし、
自分の子供でなければ、笑って許してあげられます。
しかし、自分の親や子供だと、
つい怒ってしまうということはよくあることです。
これは、愛を求めるあまり、
それが得られないと、逆に破壊してしまうという、
私たちの心の闇なのです。
つまり、私たちの不安や怒りは、自尊感情の低さから来る
知情意のバランスの崩れと、
堕落によって生じた悪なる環境との授受作用により、
本来もっていた機能が大きくずれた結果、
生じた感情と言えるでしょう。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り
☆
自分の感情を家族にぶつける、
この延長線上に、家庭崩壊、
機能不全家族、という問題があります。
ニュースで流れている様々な事件も、
全て、この不安と怒りの問題でしょう。
しかし、不安と怒り、ともに創造本性であった、
ということは、しっかりと
認識していかなければ、と思います。
ですから、堕落性をなくして、
創造本性を高める努力をしていけば、
この問題は、解決できるのです。
やはり、神様なくして、
真の父母とみ言なくしては、
心理学カウンセリングも、
本当の解決策がない、
ということだと思います。
ある先生が、
『み言には希望がない、
心の問題の解決は、一般のカウンセリングにある』
そのように言って、教会から遠ざかった二世がいる、
み言の本質がわかっていないので残念だ、
と話されていました。
心理学を研究して、
九州大学大学院まで出られている大知先生も、
み言を通して、心理学を分析しておられます。
今後も参考にしていきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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