2019年06月19日

怒ってしまうのは、愛を求めるから?! 《大知先生のカウンセリングルーム》



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大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」。
『不安と怒り』続編です。


心の病、心の問題を考えていくと、
その背景には、その人の不安と怒りがあり、
さらにその背景には、自己評価の低さと自尊感情の低さがあり、
さらにまたその背景には、その人の親がもっている
不安と怒りがある、ということを理解していただけると思います。

つまり、私たちの心の問題は、
親がもっていた心の問題から来ているということです。

「家族文化は継承される」という言葉があります。

虐待されて育てられた子供は、
自分が親になったときには、自分が育てられたようには
子供を育てたくない、と考えます。
しかし、そう思いながらも、自分自身の子供を
虐待してしまう、そうした虐待の連鎖も、家族文化の継承の一形態です。


ここで、再度不安と怒りについて、考えてみましょう。

神様の喜怒哀楽に似せて創造された私たちの心には、
不安は良心作用として、
怒りは、向かってくる脅威に対する
防衛と適応のメカニズムとして、
堕落前から創造本性として私たちの中に存在していたものです。

しかし、堕落した否定的な環境の中で多くの心の傷をもつようになり、
自尊感情が低くなってしまい、
知情意が未熟なまま変形して成長してしまいました。

そうした中で、良心作用が過剰に働いて
変質した結果が不安であり、
自分が脅かされるかもしれないという不安の中で、
防衛反応が過剰に働いて、自分を守るために
相手を破壊するような衝動にまでなってしまったのが、怒りです。

先に引用した『怒りの無い人生』の中に、次のような一文があります。

「精神的な怒りの多くは、根底には愛を求める感情があります。
そして、愛が得られない怒りによって、
求めているはずの愛をさらに壊していくという
闇が、人間の心にはあります」。


私たちの怒りは、誰に一番向けられやすいのでしょうか。
多くの場合、身近な人に向けられます。

男性であれば妻であり、女性であれば夫です。
また自分の親や子供たちにも向けられます。

他のお年寄りであれば、優しく接してあげられるし、
自分の子供でなければ、笑って許してあげられます。
しかし、自分の親や子供だと、
つい怒ってしまうということはよくあることです。

これは、愛を求めるあまり、
それが得られないと、逆に破壊してしまうという、
私たちの心の闇なのです。

つまり、私たちの不安や怒りは、自尊感情の低さから来る
知情意のバランスの崩れと、
堕落によって生じた悪なる環境との授受作用により、
本来もっていた機能が大きくずれた結果、
生じた感情と言えるでしょう。

大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第1章 不安と怒り


自分の感情を家族にぶつける、
この延長線上に、家庭崩壊、
機能不全家族、という問題があります。

ニュースで流れている様々な事件も、
全て、この不安と怒りの問題でしょう。

しかし、不安と怒り、ともに創造本性であった、
ということは、しっかりと
認識していかなければ、と思います。

ですから、堕落性をなくして、
創造本性を高める努力をしていけば、
この問題は、解決できるのです。

やはり、神様なくして、
真の父母とみ言なくしては、
心理学カウンセリングも、
本当の解決策がない、
ということだと思います。

ある先生が、
『み言には希望がない、
心の問題の解決は、一般のカウンセリングにある』
そのように言って、教会から遠ざかった二世がいる、
み言の本質がわかっていないので残念だ、
と話されていました。

心理学を研究して、
九州大学大学院まで出られている大知先生も、
み言を通して、心理学を分析しておられます。
今後も参考にしていきたいと思います。





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posted by ten1ko2 at 07:44 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする