2019年07月31日

病気や事故・不幸は、悪霊の祟りだった?! 「恨めしや」part2 《浅川先生霊界シリーズ》 



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天正宮☆


浅川先生の霊界シリーズ。
今回は、「怨みの霊と人間の不幸との関係」です。


怨みの霊の働きと人間の不幸には、密接な関係があります。
そのことについて、四つに分類してお話を進めてみます。

第一は、先祖が人の体を傷つけ、命を奪った場合です。

体を傷つけられ、命を奪われた怨みの霊は、
加害者の子孫に対して復讐を行います。

子孫は原因不明の病気、何度医者に行っても再発する病気、
死に至る病に見舞われることになります。
また、事故や災難に遭いやすくなります。


第二は、先祖が土地や財産を無慈悲に奪った場合です。

土地や財産を奪われた多くの怨みの霊は、
経済を伴う苦痛を返すことになります。

この場合、体の部位としては、
胃や腸といった内臓が病気になります。

なぜ胃や腸になるのかといえば、
これらの消化系の臓器は、
食べた物を消化したり蓄積したりする機能をもっているので、
万物とかかわる場所なのです。

このような先祖をもった子孫は、商売をしようとしても、
もう一歩のところで倒産したり、商売がうまくいきません。
土地や財産に関する苦痛に遭うようになるのです。


第三は、先祖が愛を蹂躙(じゅうりん)した場合です。

愛を奪われた人には怨みがあります。

自分の愛する娘、自分の愛する妻を、
領主から妾(めかけ)に差し出すように言われて、
泣きながら、苦しみながら
差し出さなければならなかったことも昔にはあったはずです。

愛する者を奪われた人は、家庭に対する怨みの霊となります。
その結果、子孫の夫婦や親子の関係がうまくいかず、
いくら努力をしても崩れていくという現象が起こってくるのです。


第四は、先祖が人を殺害したり、
具体的に土地や財産を奪ったりするのではなく、
言葉によって人を苦しめ、自分で
自分の命を絶つように追い込んでいった場合です。

陰謀で人を追い込む場合もあります。
言葉によって傷つけられ、言葉によって苦しめられたということが、
非常に強い怨みとなるのです。

言葉によって苦しめられた怨みの霊は、
言葉による苦しみを子孫に与えていくのです。

このように、様々な病気、家庭の不幸、事故、災難などは、
先祖の犯した罪業によって生じた、
怨みの霊の働きによって生じている場合があるのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第六章 怨みの霊と人間の幸・不幸


霊界がある、ということ。
そして、霊界にいる霊は、
子孫に影響を与える、ということ。
特に怨みを持った霊たちは、恨んだ相手の
子孫に悪影響を及ぼすこと。。。

このことを知っているということは、
とても重要なことです。

さらにいうならば、
その問題を解決する道があるということ!
それが清平における、先祖解怨、先祖祝福であり、
怨みの霊、恨霊(ハンレイ)解怨の道です。

そして、今は、清平から、
日本巡回団講師、訓錬部長が派遣されて、
清平の講師が来られなくとも、
日本のスタッフのみで開催されるという、
画期的なことが起こっています。

各地区、教区、教会において、
どんどんと集会が開かれています。
浅川先生のお話と少しずれてしまうと思うので、
そのことに関しては、後日、お伝えしたいと思います。

いずれにしても、私たちの人生でマイナス的な事象は、
怨みの霊の影響がある、ということ、
そのことをハッキリと知らなければいけないと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 12:57 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月30日

独立万歳100周年、柳寛順体育館で独生女宣言!! 《真のお母様のみ言 7.21》



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先日、柳寛順体育館で行われた
「2019 忠清圏孝情真の家庭希望フェスティバル」 
そこにおいての真のお母様のみ言です。


尊敬する内外の貴賓、特にきょう、この場で祝福を
受けた祝福家庭、家庭連合の忠清道の食口の皆様!
今年は、かつてキリスト教の指導者や学生たちによって、
特に、柳寛順(ユ・グァンスン)烈士を中心として
「大韓民国独立万歳(テハンドンリンマンセ)」を叫んだ日から
100周年の年です。

彼らの願いは、神様が保護し、
神様が共にあられる大韓民国でした。
しかし今日の現実を見てみると、彼らが願っていた、
統一された韓国ではありません。

私はきょう、皆様に「選民の使命とは何か」について
お話しようと思います。



 人類歴史の完成を見なければならない時

人類歴史6000年を振り返ると、人間始祖が、
創造主である神様のみ意どおりに成長することができず、
堕落することにより、人類は神様とは
関係のない道を歩んできました。

しかし、創造主である神様は、永遠性をもって
創造したがゆえに、再び人間を探し求めようと
救援摂理歴史をなさる以外にありませんでした。

そのため、神様は堕落した人類の中から
イスラエル民族を選ばれ、個人から家庭、氏族、民族、
国家が形成され得る位置に出てくるようになされました。
それが、どれほど困難だったがゆえに
4000年かかったのでしょうか。
40年でもなく、4000年です。

4000年目に天は「私の息子である」
と言うことのできる独り子イエス・キリストを
送ってくださいましたが、選ばれた選民は、
創造主・神様が分かりませんでした。
イエス・キリストが来られたことも分からなかったです。

そうして4000年というとても長い年月をかけて
蕩減復帰し、「私の息子である」という独り子を送って
くださったのですが、彼と一つとなることができなかった
イスラエル民族は、どのような道を歩んだのでしょうか。

イエス様は、すべての環境圏をみんな失った立場において
十字架で亡くなられるしかなかったのです。
しかし、今日キリスト教は、十字架の聖血により、
救いを受けると信じています。
これは、どれほど誤った考えでしょうか。

イエス様は、十字架で亡くなられる状況の中で
「また来る」と言われました。
また来て、「小羊の婚宴」をするというのです。
その言葉の本当の意味を、キリスト教の環境圏は
理解できなかったのです。

人類歴史の完成を見るべき、摂理の完成を果たすべき
この時において、この韓民族もまた、
天が選択した民族なのです。
古朝鮮の華麗だった歴史を実体的に再現するための
高句麗の建国について見るとき、
彼らは天地神明、天に侍る民でした。

本来、創造主・神様は、ご自身のかたちに似せて
プラスとマイナス、雌しべと雄しべ、オスとメス、
男性と女性を創造されました。

人間には、責任分担を与えられました。
成長期間に責任を果たして完成した位置は、
神様と同じ位置になるのです。

人間始祖は、神様と絶対的に一つとなった位置で
成長しなければならなかったにもかかわらず、
そのようにできずに
今日の堕落した人類をつくり出してしまったのです。

そのため、人類歴史は永遠であるはずがありません。
歴史上、大小様々な文化圏や国々がありましたが、
永遠でありませんでした。
本来の主人は創造主・神様であられるからです。



 天の摂理の完成を成し遂げる神忠清国の「選民祝福家庭」になりなさい

創造主は、永遠性をもって人間を創造されたので、
失った人間をもう一度探し立てる歴史を始められました。
それが救援摂理歴史です。

イスラエル選民を通じて
独り子イエス・キリストを送ってくださいましたが、
その選民は責任を果たせませんでした。

天は、ご自身の創造原則において責任を果たせなかった
民族を、再び選んで用いることはしません。
なぜならば、蕩減が残っているからです。

そのため、天はアジアの韓民族を
選民として選ばれたのです。
この選民は、天のみ意を担う民族として、
いつも天に真っ先に侍る生活をしてきました。

韓民族は、「また来る」と言われた再臨のメシヤを待つに
あたって、キリスト教基盤を通した位置で、
2000年前に探し立てることができなかった
独り娘を誕生させなければなりません。

1943年に独り娘が誕生しました。
天は、この独り娘のために、成長期間を与えて
くださらなければなりません。

その当時の韓国の状況を見ると、1945年に解放され、
1950年に6・25動乱が起きました。

解放後、南北に分断されましたが、南韓の民主主義の
世界は、その体制が構成されるのに時間がかかりました。
しかし北朝鮮は、ひとつの体制として一糸乱れず
南侵する機会を狙っていた時です。

天は、創造原則により、独り娘に成長期間を
与えてくださらなければならないために、
私を保護する必要がありました。
そのため、(私が)南下するようになさり、
6・25 動乱の時には16カ国の国連軍が参戦し、
大韓民国の民主主義を守ってくれたのです。

このような天の加護のなか、今日の大韓民国は、
経済的には先進国に匹敵する位置にいます。

しかしこの国が南北に分断された状態として、
一つになる道においては、
政治家たちの力や経済的な力や、
人間を中心としては難しいということが分かっています。

それでは、どのようにすべきでしょうか。
今の時代は、強大国だといっても、
一国だけでは生きていけません。
皆が一緒に、共に生きなければならないのです。

その中心には、創造主・神様を迎える運動が
起こらなければならないというのです。

摂理歴史を完成させるべき責任を負った
真の父母が1960年に顕現しました。

堕落した人類としては、
神様の前に進み出ることができません。
真の父母による重生復活、
祝福結婚によってのみ可能なのです。

真の父母は、この国が直面している問題について、
未来を見据えて、ずっと以前から
「交叉交体祝福結婚式」を行ってきました。

特に怨讐の国であるという
韓国と日本の青年たちを教育し、
祝福式を挙行してから30年が過ぎました。

一部、韓国の指導者の子女たちや政治家の子女たちは、
軍隊に行くのを嫌がります。
しかし、彼ら(祝福を受けた家庭の子女たち)は、
国籍を放棄してまでも軍隊に入隊し、満期除隊しました。
そのような青年たちが4千名を超えます。

全世界的に190以上の国に、
真の父母と共に歩む祝福家庭たちが大勢いるのです。
彼らの願いは、天の父母様が抱かれる
人類一家族の平和世界です。
地上天国です。

このことを成就するにおいて、
祝福家庭たちが責任を果たすことにより、
この夢は、私たち当代で必ず実現できます。

きょう祝福を受けた祝福家庭の皆様と、
すべての祝福家庭たちは、この時代に責任を持つべき、
人類歴史の完成と天の摂理の完成を成す
「選民祝福家庭」です。

選民家庭の前には怨讐となる国があり得ません。
すべてが神様と真の父母を中心した
一つの兄弟であるため、
私たちは、天の父母様に侍り、真の父母の
み言通りに実践躬行する祝福家庭として、祝福の
選民として、その責任を果たさなければなりません。

そのような「神忠清国」の
祝福家庭となられることを祝願いたします。



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選民の使命とは何か
2019 忠清圏孝情真の家庭希望フェスティバル 真のお母様 基調講演のみ言
天一国 7年天暦6月19日(陽2019.7.21.)
忠清南道天安市 柳寛順体育館



お母様は白いお召し物を着ておられました。
登壇される時、お付きの方が手を繋いで。。。
というのではなく、お一人で壇上に向かわれましたが、
その足取りはとても速くて、
まさに、柳寛順のごとく、
私たちを天に向かわせる、烈女の姿を感じました。

この時、韓国の国会議員が2名、
そして地元の知事がスピーチをしましたが、
何というか、食口のように話していましたね。
決してリップサービスではないと思います。
私たちの運動、活動に
経緯を表している、そういう印象を受けました。

お母様と一つになって、
今、お母様が願われていることを果たしていきたい。
お母様のお姿、み言を通して、
改めて決意させられる時間でした。





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2019年07月29日

天国に行ける人とは?! 心情の器を広げ、霊界自由人になろう! 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「心情世界での自由人」です。


先生は、必ず週に一回は説教することによって、
宗教指導者としての資格を維持してこられました。
いろいろと他のことをたくさんやっておられても、
週に一回は必ず説教をされます。

指導者がそういう立場を保つと、
霊界が協助するようになっているというのです。

そして私たちは特に、霊界と天のお父様と真の父母と、
いかに関係を保つか、これが一番重要です。
何をしても、どんな仕事をしていても、
いつでも天のお父様といかに心情的な関係を保つかです。

これは各個人が研究してやるべきです。
これがないと、根がなくなってしまったのと同じです。
根がないと栄養分が入ってこないのです。

私たちの根は、神と真の父母です。
ですからいかにこの関係を保つかです。
これが保たれれば、いつも生き生きとして生命力が保たれますが、
これが断たれると、生命力がなくなってしまうのです。

そして心情世界で自由になれる人、心情世界を自由に往来できる人、
どこでも私たちが心情的に交流できる人、
そういう人を多くもつことが大事であるというのです。


遅かれ、早かれ一度はみな霊界に行くのです。
その霊界で、いかに自由な人になれるかです。
神の子とは自由な人です。
霊界に行って完全な自由をもっていないと、神の子と言えないのです。

この世界は神の子のために造られましたから、
結局、神の子になれば、どこに行っても自由な立場に立てるようになるのです。
特に霊界に行ってはそうなのです。

しかし、霊界に行って自由な立場に立つためには、
この地上において、その自由な立場を経験し、
そういう基盤をもたなければだめなのです。

その自由な立場とは何かというと、
それはもちろん肉体の自由もありますが、
大切なのは心情的な自由です。
心情的にいかに、だれとでも交流できる立場をもつかです。


ですからこの地上において、多くの人と交流できる心情圏の広い人が、
霊界に行っても広い領土をもつようになるのです。

昔も領主は広い領土をもちたかったものです。
それは何かというと、心情圏の広さを意味するのです。
そういう心情基盤をこの地上でつくった人が霊界に行けば、
そのくらいの広さを、自由にどこへでも行ける立場に立つのです。

つまり地上で生活したその心情圏が、
そのまま霊界の心情圏になるわけです。
地上で、こういう人とは交流できるけど、
ああいう人とは全然だめだ、これではだめなのです。

どういう人とでも付き合える、どういう人とでも心情的に交流できる、
そういう心情の広さをもたなければ、霊界に行っても、
限られた分野にしか行けないのです。

ですから地上で、360度どこにでも通じる心情をもった人にいかにしてなるか、
これが信仰生活において一番重要なことになるのです。
そうするために、神の心情をもたなければならないのです。


人間の個人的な心情をもっては、いかにしてもそうできないのです。
神は広いのです。

すべての人は神の子女ですから、神はすべての人の前にお父様です。
ですから父母というものは、自分の子女と通じるのです。

子女が父母を知らない場合はあっても、
父母は自分の子女がかわいいし、そのすべてを愛するのです。
そして全人類に対してその心情をもった方が天のお父様ですから、
天のお父様が一番心情が広いわけです。

すべて神が造ったものだから、神はどこでも通じないところがないわけです。
私たちはそういう神の子ですから、そういう神に似て、
だれとでも、どこでも心情が通じることができる、
そういう人になることが大事です。


時々、センター(教会の寮)の中で生活できない食口がいます。
一人でアパートに生活し、人と一緒にいられないという人、それはだめです。
そういう人は霊界に行ってもそうですから、地獄に行くしか道がないのです。

ですから、私たちの教会は本当に幸福だというのです。
新しい食口も一緒にセンターに住むし、
また、他の所に行ったり、来たりします。
いろいろな環境を経験できていいのです。

どこでも適合していける広い心情をもった人、
いかにそういう人になるかです。
アメリカに行っても、韓国に行っても、ドイツに行っても、
どこに行っても通じる広い心情圏を、いかにつくるかです。

天国創建のために 
1986年4月4〜7日 
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)



「遅かれ、早かれ一度はみな霊界に行くのです」
そのように語られていた、元弼先生ご自身も、
お父様の聖和前に
霊界に逝かれました。

お父様に近かった方でしから、
お父様のお傍で、霊界における
最前線で歩まれているだろうな、
そのように思います。

先日、義母が聖和されたことを書きましたが、
結局、残るのは、物質的なものではなく、
心情なんだな、そのように思います。

義母は全てを捧げてきましたから、
目に見える物はほとんど残っていません。
しかし、その生きざまが、私たち、
そして、7人の孫たちに受け継がれていると思います。
なんというか、心の奥底に深く刻まれているんです。

そういう意味では、元弼先生が語られているように、
教会での兄弟姉妹との交わりを通して、心情を深め、
そして、なんといっても伝道を通して、
霊の子女を愛することが、
心情を広くさせ、深くする道であると感じます。





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過去においても、今後においても
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