尽くしても尽くしても
まだ足りない、というのが
真の父母様の行かれた道だといいます。
しかし、私たちの場合は──
金元弼先生の「主流の道における伝統」の3回目
今日は、『尽くし足りなくても受ける恵み』を紹介します。
☆
そういう霊界の助けというものは、ただ起こるのではなく、
尽くしても尽くしてもまだ足りないという
心をもっているところに、初めてあると考えるべきです。
もっとやりたいけれども力が足りない、
そういう時に協助があるのではないでしょうか。
私たちがやればできる時に、
霊界から協助を受けるということは意味のないことです。
もしそういう時に助けを受けるならば、
すべてを尽くすということをせず、常に依頼することになるのです。
そして、いつも依頼して自分のやらなければならない
責任分担を果たさないということになれば、
神の愛する人として成り立つことができないのです。
言い換えれば、サタンを分立して、
サタンに勝利することのできる愛の勝利者として
立つことができないということになるのです。
☆
しかし、まだ全力を尽くしていない時に、もし尽くそうとすれば
霊界はこのように助けるものだということを知らせるために、
また、私たちが本当に尽くすならば霊界はもっと助けるだろう
ということを知らせるために、協助することがあるのです。
このことは親子の関係においても見ることができます。
親は子供に、これをあげるから、自ら進んで
自分のことをせよということを教えるために、
何かをプレゼントすることがあるのです。
それは、もともとそれを成した時にあげるものなのです。
ですからそういう贈り物をもらう時は、
「私はもうやらなくてもいい」というふうになってはいけないのです。
☆
しかし、先生が神から与えられる祝福というものは、
先生がすべてを成したあとに来るものなのです。
それでも先生は、まだ足りないという心をもっておられるのです。
私たちとは違うのです。
ですから、私たちが恵みを受ける時には、
まだ足りないのに受ける恵みですから、
それに相応できる自分になれるように努力しなければいけないのです。
食口たちに会っても、また会いたいというそういう心のある、
先生に似たリーダーにならなければなりません。
これは技術ではありません。
私たちの心がそうあればこそ、人々は一緒にいたいという心になるのです。
☆
現在においては、家庭をもった祝福家庭の人たちが
リーダーの立場になっていると思います。
夫婦において、本当に一つになり、
食口を導くということは、非常に大切なことです。
それができない場合には、いくらいい話をしても、
相手の心に深く入っていくことはできず、感動させることはできません。
ですから、夫婦の間においても、私は仕事を十分にしたので、
妻に対してもうこれ以上尽くすことはないと考えてはいけないと思います。
家庭の主人としての使命を怠らないように、
短い時間であっても、それを果たしていかなければなりません。
もしそうでなければ、リーダーとしての使命を果たすにあたって、
大変難しいことが起こってきます。
☆
先生も、常に短い時間に、家庭における使命を
心を尽くして成しておられました。
一つの例を挙げれば、
一週間どうしても子女様たちに会うことができない時に、
お姉さんと一緒に小さな子女様が先生にあいさつに来られたことがありました。
その時先生は、公のみ言を語らなければならない時間でした。
そんな時に、先生の言葉を聞き分けることのできない
幼い子女様に対しても、話をしていかれるのです。
「私は今から、私の話を聞くために集まっている
たくさんの人たちに話してあげなければなりません。
それで、私はあなたに会う時間がないのですが、私を許してほしい」と話され、
父親としての役割を果たしておられました。
☆
そのように私たちも、家庭において緊張を解かずに、
その役割を十分に果たしていくようにしましょう。
そのことは指導者として、非常に注意しなければならない点だと思います。
きょうは、先生が善の道をどのような心で歩まれたか
ということを主に考えてみました。
「主流の道における伝統」
☆
尽くしても尽くしてもまだ足りないという心で
この道を歩まれる御父母様。
そうすると、霊界の方が
黙っていても協助するようになるとのことでした。
今は真のお父様が霊界におられるので、
霊界の協助もすさまじいものがありますね。
義人があのように立ってきているのも、
霊界の協助なくして、ありえないのではないでしょうか。
与えてもなお与えたい心をもっておられる真の父母様。
その心情を相続して、与えて忘れることのできる、
そのような精誠を尽くしていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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