大知(おおとも)先生の「氏族伝道の心理学」より
「史上初の機能不全家族」を紹介します。
☆
堕落後のアダムとエバの心情を考えてみましょう。
堕落ののち、神様は「創世記」でエバに対して、
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
あなたは苦しんで子を産む。
それでもなお、あなたは夫を慕い、彼はあなたを治めるであろう」
(第三章十六節)とおっしゃり、
アダムに対して、
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、
わたしが命じた木から取って食べたので、
地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
あなたは土から取られたのだから。
あなたは、ちりだから、ちりに帰る」
(第三章十七節〜十九節)とおっしゃっています。
☆
これを聞いた時のアダムとエバはどんな気持ちだったでしょうか。
良心の呵責(かしゃく)もあったでしょうし、
不安でいっぱいだったに違いありません。
エデンの園を追われて新しい生活を始めたアダムとエバの家庭は、
どのような家庭だったのでしょうか。
将来への見通しも希望もなく、何をどうして良いかもわからず、
混乱していたでしょう。
不安は怒りに変わります。
創造理想から外れて堕落してしまった不安は
とても大きなものだったでしょうから、怒りも大きなものであり、
家庭内にあふれていたと思われます。
☆
アダムは、堕落してしまった不安を思い出して感じる時には、
不安は怒りとなって、自分を誘惑したエバに向けられていたことでしょう。
エバを大声で罵倒したかもしれません。
怒りがコントロールできなくなり、
エバに対して殴る蹴るなどの暴力を振るっていたかもしれません。
エバの顔を見たくない、と思えば、外に出て、
何日も帰ってこない日が続いたこともあったでしょう。
☆
エバはどうだったでしょうか。
エバの不安はアダムよりも大きかったかもしれません。
アダムと同じように将来への不安は大きかったでしょうし、
さらに、堕落の原因となってしまったという良心の呵責は
エバ自身の気持ちを追い込んでいたでしょう。
それに加えて、アダムの怒りを受けなければならなかったのです。
当然、エバの中の大きな不安も怒りとなります。
では、エバの怒りはどこに向けられたのでしょうか。
おそらく、初めての子供、カインに向けられたでしょう。
エバは、イライラした時、カインに当たっていたかもしれません。
もしかしたら、手を上げていたかもしれません。
不安でいっぱいになったときには、カインの世話もできずに、
ほったらかしにしていたかもしれません。
食事だって準備しなかったときがあったかもしれません。
そんな時は、カインが良い子にしていても、
母親であるエバは振り向いてくれなかったでしょう。
わざと悪いことをして気を引こうとしたかもしれません。
つまり、人類の最初の家庭であったアダム家庭は、
家庭内暴力と児童虐待に満ちた機能不全家族であった
(かもしれない)と考えられるのです。
大知 勇治・著
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第2章 心の問題と復帰歴史
史上初の機能不全家族
(光言社・刊『成約時代の牧会カウンセリング 氏族伝道の心理学』より)
第2章 心の問題と復帰歴史
史上初の機能不全家族
☆
「機能不全家族」とは、
家庭内に対立や不法行為、身体的虐待、性的虐待、心理的虐待、
ネグレクト等が恒常的に存在する家庭を指す。
機能不全家庭とも称され、
その状態を家庭崩壊、もしくは家族崩壊と言われている。
(Wikipediaより)
これは大知先生の推察であり、
本当にアダム家庭がそこまでだったかは
実際わかりませんが、
少なからずそういう部分はあったことでしょう。
最悪、その通り人類最初の家庭が機能不全家族であったとしたら、
カインがアベルを殺害したのも、
その日にたまたま起こった事件ではなく
いつそうなってもおかしくないような状況だったということになります。
なんとも悲惨としかいいようがないですね。
いずれにしても、堕落の血統に生まれた私たちですから、
同じ根っこを持っているわけです。
そのことを自覚しつつ、
真の父母様に連結された、
天の血統をいただいたことが
どれほど貴いことなのか、
それを改めて感じさせられます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
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全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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