浅川先生の自叙伝書写講話。
今回から、後半部分(10話)がスタートします。
第一章として、
「苦しんでいる人類を救い、
神様を喜ばせてさしあげなさい」
を紹介します。
☆
今、あなたは幸福ですか?
人は誰でも幸福を求めて生きています。
結婚するのは幸福になるためです。
この伴侶と結ばれたら
誰よりも幸福になれると確信して結婚するのです。
あえて不幸になるために、親族を集めて
披露宴をするカップルがいるでしょうか。
誰も参加したがりません。
女性は陣痛の痛みを乗り越えて子女を出産します。
しかも、母親は子供が夜泣きをすれば起き、
大小便の世話までしてあげます。
そんな苦労をしてまで子供を育てるのも幸福になるためです。
そして、子供が青年になったら、親の願いはただ一つ、
子供が幸せな結婚をすることです。
男の子が結婚すれば、嫁を迎えます。
そして、かわいい孫を育てます。
多くの孫に囲まれて最高の晩年を過ごすのです。
老後こそ人生で至福の時なのです。
では、死後はどこに行くのでしょうか?
決まっています。
天国、極楽浄土です。
このように、人はこの世でも、あの世でも、幸福を願っています。
☆
でも、その願いは果たされていますか?
あなたは、今、至福を家族で味わっていますか?
あなたのお父さん、お母さんは、とっても幸せそうでしたか?
ご先祖様たちは、この世で幸福を味わい、
あの世でも、喜びを満喫しているのでしょうか?
答えは「……」です。
大半の奥さんたちの悩みは夫婦関係です。
幸せになるはずだった夫との関係が
一番の苦しみになっています。
お客様からは評判の良いというご主人でも、
妻からは忌み嫌われている方もいます。
仕事が終わって、帰途では、体を温めて正気を失わなければ、
家に帰れないご主人さんもいます。
☆
血を分けた親子関係はどうでしょう。
親の大半の悩みは子供から生じています。
かわいかったのは物心つくまでで、
言葉をしゃべられるようになってから、
親は子供の言葉や態度で傷つくことが多くなります。
思いどおりに育たず、親の苦しみの種となる子供もいます。
子供もまた親の愛情不足で悩んでいます。
「世界で一番怨(うら)んでいるのは母親です」
と言った娘さんもいるそうです。
親子が怨讐(おんしゅう)関係になっているのです。
☆
嫁姑(しゅうとめ)の関係はどうでしょう。
嫁は実の娘より大切だといわれますが、ある姑は言いました。
「気が利かない嫁は腹が立つ。
気が利きすぎる嫁はもっと腹が立つ」。
ある嫁は、姑が挨拶に来ても家に上げないで、
お土産の品物だけはしっかり頂くそうです。
「お土産は靴棚の上に置いて帰ってください」。
姑は嫁の心をつかむためには金しかない、と悟って言ったそうです。
「地獄の嫁も金しだい」。
東京から名古屋までは新幹線で一時間半で着きますが、
幸福という名の駅には、
始発から何十年走り続けても到着しないようです。
では、どうしたら、幸福になれるのでしょうか?
☆
自叙伝「平和を愛する世界人」より
祈りでずっと夜を過ごした後、明け方になって、
イエス様が私の前に現れました。
風のように忽然(こつぜん)と現れたイエス様は、
「苦しんでいる人類のゆえに、
神様はあまりにも悲しんでおられます。
地上で天の御旨(みむね)に対する特別な使命を
果たしなさい」と語られたのです。
その日、私は悲しい顔のイエス様をはっきりと見、
その声をはっきりと聞きました。
イエス様が現れた時、私の体は
ヤマナラシの木が震えるように激しく震えました。
その場で今すぐ死んでしまうのでないかと
思われるほどの恐れ、そして
胸が張り裂けるような感激が一度に襲いました。
イエス様は、私がやるべきことを
はっきりとお話しになりました。
苦しんでいる人類を救い、神様を喜ばしてさしあげなさい
という驚くべきみ言(ことば)でした。
(自叙伝62〜63ページ)
神様が十五歳の私に現れたのは、
人類始祖の犯した罪の根が何であるかを伝え、
罪と堕落のない平和世界を築こうとされたためでした。
人類が犯した罪を贖罪(しょくざい)し、
太古の平和世界を復元するように、というのが、
私が神様から授かった厳重なみ言でした。
神が願う平和世界は死んでから行く天国ではありません。
神の願いは、私たちが生きるこの世の中が、
太古に創造されたその場所のように、
完全に平和で幸福な世界になることです。
(自叙伝89ページ)
浅川 勇男・著
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第一章 苦しんでいる人類を救い、
神様を喜ばせてさしあげなさい
(光言社・刊『文鮮明先生の自叙伝に学ぶ〜心のあり方』より)
第一章 苦しんでいる人類を救い、
神様を喜ばせてさしあげなさい
☆
今回は、導入部分を紹介しました。
原理講論の総序にある、
「人間は何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、
それを得ようともがいている」
その件(くだり)を浅川節で語られていますね。
家庭における、理想と現実の違いを
わかりやすく説明してくださいました。
私たちはみ言を知っていますけれど、
人にわかりやすく伝える、というのは、
なかなか簡単なことではないですね。
そういう意味においては、
み言を知らない人に対しても平易に語られる、
浅川先生の講話を参考にしていきたい、
そのように思わされます。
ともに学んでいきたいと思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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