(筆者の娘さん《当時:12歳》が描いた絵)
自分の親族が亡くなったら、
誰もが『会いたい』と思うのではないでしょうか。
Blessed Life では、男手一つで
3人の娘さんを育てておられるコラムが紹介されています。
なんと、末の娘さんには、お母さんが家族と一緒に
自然に生活している姿が
すべて見えるというのです。。。。
☆
当時、5歳だった三女がそう証ししてくれたのは、
妻の満40歳の誕生会の場だった。
子どもたちの“ママ”、すなわち筆者の配偶者はすでに他界しているのだが、
誕生日には、この世の人もあの世の人も、
必ず年の分のローソクを立てて祝うのがわが家の習わしになっている。
この日もイチゴのたくさん載ったバースデーケーキを準備して食卓を整えた。
そこに三女の一言である。
「ママここにいるよ」
さあ、それからが父から娘への尋問の始まり。
「本当に見えるの? どんな姿をしているの?」
「歩いているの? 浮いているの?」
「話はできるの? 表情は? 笑ったり怒ったりするの?」、エトセトラ、エトセトラ……。
いったい、いつからママの姿が見えるようになったのかと尋ねると、
少々興奮気味の父の姿をよそ目に、
娘はさらりと「初めから」だというではないか。
妻が亡くなった当時、まだ二歳にもなっていなかった三女にとって、
“死”という概念は存在していなかったに違いない。
その日以来、娘をつかまえては「ママは今どこにいるの? ママは今何しているの?」と、
日に何度となく尋ねるのが父の日課となった。
三女の話によれば、ママの姿は半透明の状態のようで、
人も物も素通りしてしまうのだという。
寝るときはパジャマ姿で、何とパパの隣に寝ているというではないか
(当の本人には全くその自覚がなかったのに、である…)。
着替えもするのだそうで、ときどきヘアスタイルも変わるのだという。
家族が外出するときには一緒に出かけることもあるそうで、
ある日、家族みんなで外食に出掛けた折、同行した妻の分の席がなく、
「ママは先に帰ってしまったよ」という娘の話には、思わず苦笑してしまった。
「どうしたらパパにも見えるようになるかなあ、ママに聞いてみて」と、
父は娘に伝言を託した。
「目を閉じたら見えるんだって」と、娘はママからのメッセージを伝えてくれた。
小学校に上がった頃から、三女がママを見ることはなくなった。
でも、家族は皆知っている。
“お母さんのまなざし”もまた、いつも家族に向けられているということを。
お父さんのまなざし 3
「ママここにいるよ」
(『グラフ新天地』454号[2006年4月]より)
コラムニスト 徳永 誠
「ママここにいるよ」
(『グラフ新天地』454号[2006年4月]より)
コラムニスト 徳永 誠
☆
亡くなられた奥さまのご主人、
コラムニストの徳永さんご自身が、
何よりも奥さまと出会いたかったに違いありません。
しかし、実際には、3女の娘さんだけに現れた。
しかも小学生に入る前だけ見れた、
何とも不思議な話ですね。
娘さんが見られたお母さんは、
お父様が霊人の様相を語られたのと、
ほぼ同じような気がします。
将来はみんなが霊人を見れるようになると思いますが、
見れる見れないは、ともかくとして、
私たちも先祖の皆様方、絶対善霊がいつもともにいる、
そのような意識を持って、生活することを
天が願われているし、霊人の方たちも、
そう願っているのだと感じます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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