週刊Blessed Lifeのコラム
「誰が救いを必要とするのか」
を紹介します。
☆
2000年前、イエスが語った印象的な言葉が
新約聖書のマタイによる福音書に記されています。
「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である」
(マタイによる福音書 第9章12節)という言葉です。
この言葉の意味は何でしょうか。
健康な人には医者は要らない、医者を必要とするのは病人であるということですから、
あまりにも当然のことを語っているに過ぎないと思ったら大間違いです。
この言葉の後に続く言葉があります。
「わたしがきたのは、義人(丈夫な人)を招くためではなく、
罪人(病人)を招くためである」(同 13節)というのです。
はたして、イエスは罪人(つみびと)だけを相手にして
救いを与えるというのでしょうか。
罪人以外の義人の救いは、
「あなたは丈夫な人だから、医者である私(イエス)を必要としません」と言って、
イエスは丈夫な人(義人)の救いを放棄するというのでしょうか。
これは深く考えてみなければならない言葉です。
根本的なことを言えば、堕落したアダムとエバの
末裔(まつえい)である人類は、皆罪人であり、義人は一人もいません。
イエスの時代には、取税人(税を取り立てる人)や
娼婦、安息日などの律法を守れない人、
ユダヤ人以外の偶像崇拝者である異邦人などが「罪人」でしたから、
イエスはそういう人々に寄り添うという宣言が、
「医者を必要とするのは病人である」という言葉の意味になります。
しかし、もう少し掘り下げると、神に選ばれた者という
「選民意識(義人意識、丈夫な人)」がとても強かった
当時のユダヤ人たちの傲慢な考えをたしなめられた言葉が、
「丈夫な人には医者はいらない」であり、その本当の意味は、
そのようなユダヤ人たちの傲慢さは神の国には程遠く、
むしろサタンに属する者であり、傲慢なままでは
永遠の滅びにつながってしまうだろうとイエスは語っていたのです。
現代の国際情勢はまさに「わが国は丈夫な人」で医者は要らない、
「相手の国は病人」だから医者はそっちへ行ってくれと言っているようであり、
結局、謙虚に神の救いを受けるのがアフリカであったり、
サタンに属して永遠の滅びに落ちるのが先進国であったりする可能性があります。
そうならないように祈りますが、政治経済を主導するトップリーダーたちが
かつてのユダヤ人たちのように傲慢な考えにとりつかれて、
他者や弱者への哀れみ、思いやりが欠如してしまうと、
救いの恵みからこぼれ落ちてしまうかもしれません。
コラム・週刊Blessed Life 76
誰が救いを必要とするのか
新海 一朗(コラムニスト)
誰が救いを必要とするのか
新海 一朗(コラムニスト)
☆
前線で歩んでいると、神様を否定する人に出会います。
よく言われるのが、「神様なんてどこにいるんだ、見せてみろ」
また、こんなことを言われることもあります。
「神様を信じるなんて、弱い人のすることだ」
実は私自身も教会に来る前には、
そのようなことを思っていました。
しかし、み言に出会い、また、お父様に出会い、
神様を信じ、そして、実感するようになりました。
はっきり言わせていただくなら、逆ですよね。
強くなければ、この道を歩むことなど、
到底できないな、そのように思います。
さらには、どんな迫害も試練も乗り越えてこられた
真の父母様がおられるからこそ、
私たちもそれを相続し、乗り越えることができるのだ、
そう断言することができます。
本当に素晴らしいことだと思います。
神様、真の父母様とともにある生活、
これ以上の喜びはありません。
このことを多くの人たちに伝えるのが、
私自身の使命であることを改めて思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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