先日、妻の母が聖和して、滋賀の方に
家族で帰ってきました。
いつもそれぞれのスケジュールで忙しい
4人の子どもたちも、一緒でした。
孫7人で、聖和式の送辞を言うように
提案しましたが、うだうだと
式の前になっても、まとまりません。
どうなることかと思いましたが、
しっかりとマイクを持って、一人一言ずつ、
間違わずにスムーズに送辞をしてくれました。
思春期の子供たちは、自分でも予測がつかない
そんな、ぶっつけ本番のような
日々を過ごしているのかと思います。
光言社のスタッフが
編集者ブログを書いておられますが、
心に残った記事を紹介します。
☆
先日、息子(中2)の中学校に三者面談に行ってきました。
会社を休んで午後の面談に備えていましたが、実は、
無事に二人で学校に行けるのか、数日前から緊張していました。
7か月前、息子(当時中1)が三者面談を拒否して行かなかったからです。
そのときは、昼過ぎに息子が学校から帰り、ゲームを始めました。
ところが、自分が思ったとおりにゲームが進まなかったのか、
だんだんとイライラし始めて、
出掛ける時間にはイライラがピークに達したのです。
私が「そろそろ行くよ」と言うと、
「面談なんて行く必要がない!」「そんなの意味がない!」と反発し、
動こうとしませんでした。
予想外の展開に打開策はなく、約束の時間は迫ってくるので、
私は息子を置いて一人で学校に向かいました。
その頃、息子はよく学校を休んでいました。
定期テストを受けなかったこともあります。
私は、通学路をとぼとぼと歩きながら、
「あの子は、この道をどんな気持ちで歩いているのかなあ?」
「学校でうれしいことや楽しいことは、何もないのかなあ?」
などと考えると、涙があふれてくるのです。
先生からは、「これでは三者*ハ談になりませんね」と言われ、
「すみません」と頭を下げるしかありませんでした。
☆
そのような苦い体験を繰り返さないだろうかと心配しましたが、
今回は、「行くよ」と呼びかけると、「もう行くの」と文句を言いながらも、
スマホを置いて準備をしてくれました。
「話をしながら一緒に行こう」と言うと、
息子は「嫌に決まってるじゃん」と言って、どんどん先に歩いていきました。
そして、担任の先生からの質問に、
家では聞いたことがない丁寧な言葉で答えるのです。
私はその成長ぶりに、とてもうれしくなりました。
☆
『祝福家庭』94号に掲載する「小学生教育Q&A」について、
家庭教育局のスタッフと会議をしたときのことです。
私が、子育ての難しさについて体験談を話し、
「この前、息子とけんかをしたとき、
『雑魚≠ヘ部屋から出て行け!』と言われたんですよ」と言うと、
会議に参加していた祝福二世の姉妹から
「それ、いいですね。何でも言える親子関係がいいんですよ。
いい子≠ナ育った二世のほうが、かえって心配ですよ」と激励されました。
私はその言葉に、ふっと体が軽くなりました。
真の父母様は私たちに、縦横の8段階を勝利する道を示してくださいました。
息子が発した雑魚≠フ言葉を思い出すたびに、
「『僕(しもべ)の僕』から頑張って上がって行くんだよ」
という天の励ましを感じます。
たとえ時間はかかっても、親としての
成長の階段≠喜んで上っていきたいと思います。
☆
お子さんを通して、感じていかれた内容を
率直に書いてくださり、ありがとうございました。
三者面談、ということで
妻が思い出しました。
三男(末っ子・中2)の三者面談の日程を
まだもらっていなかったことを。
(すっぽかしたら大変でした(笑))
思い出させていただき、ありがとうございました。
子供って、本当に親の思い通りに育たないものです。
ただ子供も本心ではわかっているのかな、とも思います。
最近、うちの長男(大学3年)も、
あんまり自分の出来事を話さなくなりました。
10年ほど前からになるでしょうか。
夕食を家族で食べる時、子供たちに「今日の〇〇(子供の名前)」
と言って、一日の出来事を話してもらっています。
最初のころは、三男の順番になるまで、
みんなが話し続けるので、食べ終えてしまうことがありましたが、
最近は、長男がバイトでいないことが多く、
いても「特にない」で終わったりして、
次男も似たような感じで、
順番がすぐに回ってきてしまいます(笑)。
それにしても、長女はよく話します。
4人のうち、半分くらいの時間を取っているような。。。
明るいので、雰囲気が盛り上がります。
適度な距離を保ちつつも、
過度な要求をすることなく、
「あなたを愛している」
その思いを根底に持ちつつ、
親子としての心情を育んでいきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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