最高の祈祷は
ささやくような祈祷である
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ささやくような祈祷である
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蝶野部長の夫婦講座の続編。
今日は、祈りについての「信仰講座」
ともいうべき内容です。
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2004年以降、真の父母様が、神に向かってする敬拝から、
お互いに向かい合って手を組んで祈祷し、
祝福家庭も自分の名で祈り、夫婦向かい合って
神に祈祷する時代になりました。
夫婦でお互い向かい合って、(相手の中の)神に祈る。
すごい時代が来たのです。
神に向かって祈るのは、神が外にいるのであり、
(いわゆる)超越神信仰です。
以前は祈りといえば「もっと叫べ―!」と
野球部の指導のように言われたものです。
それが悪いというわけではありませんが。。。
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お父様のみ言では「最高の祈祷はささやくような祈祷である」といいます。
子供から「お父さん!」と、叫ばれても嬉しいが、
ささやかれたら何かと思うのではないでしょうか。
一つとなるための心情的な祈祷は、ささやくように。
愛と人格が神と重なるような、
自分の秘密を告白したり、
親子の契りを結ぶための祈祷は、ひそひそ話になります。
あまりに慕わしいと、ひそひそ声になるのです。
お父様が昔、「アボジー!」と叫んだら、
神が「私はそんなに遠くにいないよ、
あなたの心の中にいると」言われて、お父様はショックだったといいます。
あのお父様でも。
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あのモーセを導いた神がここにいる。
(超越神に対していうと)内在神とでもいいましょうか。
(神と人間は)親子だから、親子が一つになり、近くにいるのです。
叫んでいるというのは遠い神様です。
旧約時代は叫んできました。
出会ったのもみな、実際、(神に直接会ったわけではなく)天使でした。
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今は違います。
夫婦で向かい合うと、お互いが神の半分半分であり、
夫婦で神様です。
夫婦がそれぞれに内在しているお互いの中にいる神に祈る。
どこの宗教団体にもありません。
(他の宗教は)超越神だから、永遠に一つになれない、遠い神様なのです。
私の中に神がいて話したら応えてくださる。
完成するまでは、良心と会話をしながら(成長するのです)。
夫婦の価値というものに我に帰らなければならないということです。
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夫婦で手を繋いで、向かい合って祈る、
このような祈りを捧げるところは、
家庭連合以外にはないと思う。。。
蝶野部長は、そのように語られていました。
私たちは、真の父母様がされているので、
同じようにしているわけですが、
「とても歴史的なことを当たり前のようにしている」
立場なのではないかと思います。
配偶者は「神様の半分である」
真のお父様は、当然、お母様に対して
そう思っていらっしゃるわけです。
今の時代、そのような捉え方で
夫婦を価値視し、
祝福家庭であることに感謝して、
真の父母様の価値に対しても、
はっきりしていかなければならないと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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