2019年08月11日

3人いれば、私たちに神の運勢が降りてくる?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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久々に李ヨハネ先生のみ言を紹介します。
今回は、『天が臨在される教会』です。


私たちという共同の集まりに、
神の運勢が降りてくることができなければなりません。

イエス様のときもそうです。
イエス様個人を見ると、それこそ驚くようなかたですが、
ユダヤ民族が、自分たちと共同の運命にある主を
個人的な十字架の運命に押し出してしまったので、
神が働くことができませんでした。

同じように先生のみ旨を見るとき、
皆さんも私も共同責任を負っています。
あなたが間違えば私も間違え、私が間違えばあなたも間違える
という共同運命圏内にいるということです。

共同運命圏内つまり共同摂理圏内にいるのですから、
中心がなければなりません。
神が臨まれる基台を立てることのできる中心がなければなりません。

今日、教会にそのような人が何人いますか。
せめて三家庭だけでもいなければなりません。

お互いの心配が同じで、無言で通じ、
お互いに心を合わせることのできる三人がいれば、
神は「私があなたたちの願いをかなえよう」と言うことができます。

もう一度いうと、この地上に二、三人でも、基準が高かろうと低かろうと、
情的にさえ心を一つにするようになれば、
神が共にいることができ、責任を持つことができるというのです。

例を挙げれば、病気を治そうと祈祷するとき、三人が心を合わせれば、
病気が治るようにしてくださるということです。
その病気がお酒を飲んだためのものであったとしても、
何をしたから病気になったのかと問いただす必要もなく、
二、三人が心を合わせた祈りに神はこたえてくださるというのです。

これが原理です。
このように神のみ旨のために二、三人でも心を合わせれば、
神が共にいることができるということです。
それは原理的な数字です。

ゆえに家庭時代に入ってきた統一教会に、
お互いを貴重に思い、切なく思い、
夫婦の間に無言のうちに情が行き来しうる家庭が
最小限三家庭だけでもあれば、どれほど貴重なことでしょうか。
そのようになれば、その家庭は宝の中の宝です。

1977年7月24日(日)中央修練所
聖日の礼拝
苦痛の価値性


「三人」というと、三位基台を思い出しますね。
私たち3万双は、印刷された名簿を渡されて、
「この人たちが三位基台です」と言われまして。。。
しばらくは、電話や年賀状をやり取りしていましたが、
向こうも事情があったのでしょうか。
返事がなくなり、住所が変わったのか送り返されたり、
どうされているのか、音信不通です。

三位基台もヨハネ先生が語られるような内容が、
本来の願いだったのではないか、と思います。

形は違いますが、
お互いのために本音で授受し、祈りあう、
そんな教会が発展しています。
天の願いが実っているというのは、
神様も喜んでおられるのではないか、
そのように思わされてなりません。

縁あって出会った私たちですので、
本当に深い関係を築いていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 10:06 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする