2019年08月15日

本来の信仰基台?! 創造原理の時代(ちゃんと愛する時代)が来た! 《蝶野部長》5





本部・蝶野(ちょうの)家庭教育部長の講座。
続編です。


お父様は原理を解明されただけでなく、生きて示されました。
自分を殺そうとする相手を愛し赦してきた。
「栄光の王冠」これは16歳ですよ。
自分をだます者を、私が悪いのですと言っているのです。

これは(すでに)原理の心情実体になっている。
お父様がなぜ16歳であの心境に立っている(のか)。
それは生きた原理を示していかれた。

(そのようにしても)摂理がうまくいかない、
キリスト教もすべてお父様を裏切ったので、最後は自分の命まで、
そのようにして生きた原理を示して霊界にいかれました。

しかし、遺された私たちが、原理が何だったのかわからずにいるとしたら、
どれだけお父様が霊界で泣かれているか、ということだと思います。
原理は(何かというと)私の責任だと悟る人が、
これが信仰基台の中身のお話になります。

私たちは、「メシヤを迎えるための条件」的な「信仰基台」しか勉強していません。
再臨主を説明するためのその講義案として作られたのが原理講論ですから、
原理講論も、メシヤを迎えるための条件的な信仰条件ばかり(しか述べられていません)。

本当は、創造原理の中に信仰基台があるんですよ。
堕落していないときにアダムエバが完成するための(成長)期間、
これを信仰基台といいます。

これを失ったので、条件的に神を愛する条件で供え物をしたりするのが、
これが「メシヤを迎えるための条件」です。
これは外的にやっても成功したと言われる部分がある。

本来の霊人体が成長する蘇生・完成、この信仰基台の説明がないわけですね。
ないというか、悟らなければならなかったわけです。

私たちはそういうふうにして、統一思想に帰っていって、
自分がどのようにして愛と人格、霊人体を成長させて完成いくか、
祝福を受けて無原罪になったのなら、1世も2世も
成長して完成していかないといけない。
その愛の中で生まれた子女は、財産になっていくと思うのです。

しかし、先天時代においては、
愛すべきものを犠牲にして、条件を立てる時代がありました。
これは2世にはできないですね。
1世の変態的信仰とよく言われる(笑)。

しかし、(先天時代には)お父様の指導がそうだったのです。
そういう犠牲の家庭を出してでも、
親を選ぶか、お父様を選ぶかという選択だったんですよ。
自分の肉身はサタンだという教育を受けてきたわけです。

今そういうことを言ったら大変でしょ。
2世は、親子が一つとなって祝福に行くんです。
1世は、親を捨てて神様を選ぶというんです。

愛すべきものを犠牲にして条件立てる、
こんなことをできる人は少ない、誰でもできるわけではない。
誇っていいいと思います。

神様から見たら、『こんな道をいかせてすまない』という思いでしょう。
ですから、誰が何と言おうと
お父様と共に歩んだという思いで、感謝していったらいいと思います。

1800双、777双の先輩が
謙虚に聞かれるのには頭が下がりますね。
(当時は)そういう指導だったのです。
家庭教育部も20年前にあったらよかったという声があがりますが
(そのような時代だったのです)。

2世(の立場)は違います。
2世であれば、祝福を受けようとするとき、
その傷がうずくということはあるかもしれない。
私たちには正当などんな理由があろうが、関係ありません。
親がみ旨に行って家にいなくて寂しい気持ちが当然出てくる。
その気持ちに帰っていくしかない。
もう一回ここからやろう(というように)。

去年の2月、40歳を超えた子女たちが多く祝福にいきました。
親が涙の決意をして、もう一回やり直したんです。
素晴らしいい先輩たちだと思います。
ものすごい犠牲にしてきたものがあるので。

しかし後天時代は、「愛すべきものを犠牲にする」時代は、
終わっています。

「愛すべきものを愛して完成しなさい、
愛すべきもの、夫婦、親子、それを正しく愛してあなたも完成しなさい」。
まるで反対。
創造原理の時代がきたということです。福音ですね。

愛すべき者を犠牲にして条件を立ててきた、
それが信仰と言う評価を受けてきました。

2世に話すと、「自分たちは嫌だ」と言います。
今は「目の前にいる人を愛して完成したらいい」というと
「今の時代に生まれてよかった」。

1世はそのはざまなので、両方やらないといけない。
これは、達人の信仰です。
人類歴史二度とない、この二つの信仰観を
人生でまたいでいる方なんです。
めちゃくちゃ貴重な人たちです。
教会の言うことも(以前と)変わっているでしょう。
それを一つの人生でやろうというのだから「達人」です。

復唱しますが、
「愛すべきものをちゃんと愛して完成しなさい」
こんな福音あります?

(文責:ten1ko2)

「今日はなんか厳しいな。でもしょうがないな。
責めているわけではないですよ(笑)」と言われながら
語ってくださった部分です。

蝶野部長はこの日、
原稿なしで語られました。
場の雰囲気、霊界を見ながら、
話される、という感じでした。
貴重なみ言をありがとうございました。

本来は、創造原理の中に
信仰基台があり、
信仰基台を立てれば、
自動的に実体基台(愛)も完成するといいます。

原理講論には説明されていない部分ですが、
統一思想の原相論や、お父様のみ言を通して
導き出されたものだと語っておられました。

私たち(一世)は、奇跡的な信仰、
歴史上にない、立場にいることを改めて思いました。

また、このブログは二世の方も読んでいるかも知れませんが、
二世の方たちも歴史始まって以来の立場だと思います。
三世、四世と代は繋がっていきますから、
これからは、相続をしていけばいいわけです。

「伝統と相続」
重要な立場にいることを改めて感じました。







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posted by ten1ko2 at 10:57 | Comment(0) | 蝶野部長 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする