昨日の真のお父様聖和7周年の記念式典の中で
真のお母様のみ言はありませんでしたが、
鄭元周(チョン ウォンジュ)総裁秘書室長が
お母様からお父様宛てのお手紙を、
朗々と読み上げてくださいました。
2日に分けてご紹介します。
☆
お父様が天上に入城されてから、
すでに7年の歳月がたちました。
この天宙にお父様の流された汗と涙の
沁みていないところがありません。
今日はいつもよりもお父様がひときわ慕わしいです。
お父様が聖和される1年前、
90歳を超えたにも関わらず、元気に
8回以上アメリカを往来されましたね。
ご自身の健康を全く顧みられず、
ただ、世界と人類のために働かれました。
「オンマ、この仕事が終わって、
時間ができたら、少し休もう」
そのように語られたみ言は、
結局、地上では成就されませんでした。
昼夜休まずに働かれたお父様。
私もそのようなお父様に侍り、暮らして、
生涯、3時間以上寝たことがありませんでしたね。
☆
2012年の暑い夏、
最後に病院に入院される時も、
お父様は、「まだすべきことが多いのに、
病院で時間だけ過ごしてどうするんだ」
と言われ、むしろ入院を勧めた人を咎めましたね。
急いで天正宮に帰ってこられて
「オンマ、今日はオンマと向かい合って
食事がしたいね」と話されたでしょう。
食口たちは不思議に思ったかもしれません、
いつも一緒に食事をしていましたから。
その日、お昼の準備ができると、
スプーンを持とうともされずに、
じっと私の顔だけを見つめられました。
おそらくお父様は、心の中に、
私の顔を刻み付けていたのかもしれません。
私は微笑みながら、お父様の手に、
スプーンを取って差し上げ、
おかずを取って差し上げて、
召し上がる姿をじっと見つめました。
私もお父様のお顔を
胸に刻み付けたかったのです。
☆
とりわけ日差しが強かった日、
人の背丈よりももっと大きな酸素ボンベを引かれつつ、
暑い日の光を受けながら、
清平湖、清心中高等学校を始め、
清平団地をあまねく回られ、天正宮に戻られて、
「天よ祝福してください。
最後をやり遂げるよう許諾してくださいますように」
というような祈祷をされたあと、
録音機を持ってくるように言われ、
「復帰摂理をすべてなした」という最後の祈祷を
私と一緒に捧げられました。
そして、「オンマ、ありがとう。
オンマ、お願いね」
お父様は息苦しそうにしておられましたが、
一気に語っていかれました。
私は、お父様の手をより一層強く握りしめながら、
親しい言葉と眼差しで、
安心させて差し上げましたね。
「何も心配しないでください」
そして、お父様は天の父母様の懐に抱かれました。
チョンソン山の麓、本郷苑でお休みになられました。
(文責:ten1ko2)
☆
今回の聖和祝祭で、
一番心に残った場面でした。
ともにネット中継に参加されていた婦人たちも、
すすり泣いている声が聞こえてきました。
お父様は、「少し休もう」
お母様に言われていたんですね。。。
しかし、公的なものをあくまでも優先されながら、
ご夫婦でゆっくり過ごされる期間はありませんでした。
後半は、明日にお伝えします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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