2019年08月18日

天国のお父様へ 「お父様の汗と涙の沁みていない所がありません」 《お母様の書信》前編



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昨日の真のお父様聖和7周年の記念式典の中で
真のお母様のみ言はありませんでしたが、
鄭元周(チョン ウォンジュ)総裁秘書室長が
お母様からお父様宛てのお手紙を、
朗々と読み上げてくださいました。

2日に分けてご紹介します。


お父様が天上に入城されてから、
すでに7年の歳月がたちました。

この天宙にお父様の流された汗と涙の
沁みていないところがありません。
今日はいつもよりもお父様がひときわ慕わしいです。

お父様が聖和される1年前、
90歳を超えたにも関わらず、元気に
8回以上アメリカを往来されましたね。

ご自身の健康を全く顧みられず、
ただ、世界と人類のために働かれました。

「オンマ、この仕事が終わって、
時間ができたら、少し休もう」
そのように語られたみ言は、
結局、地上では成就されませんでした。

昼夜休まずに働かれたお父様。
私もそのようなお父様に侍り、暮らして、
生涯、3時間以上寝たことがありませんでしたね。



2012年の暑い夏、
最後に病院に入院される時も、
お父様は、「まだすべきことが多いのに、
病院で時間だけ過ごしてどうするんだ」
と言われ、むしろ入院を勧めた人を咎めましたね。

急いで天正宮に帰ってこられて
「オンマ、今日はオンマと向かい合って
食事がしたいね」と話されたでしょう。
食口たちは不思議に思ったかもしれません、
いつも一緒に食事をしていましたから。

その日、お昼の準備ができると、
スプーンを持とうともされずに、
じっと私の顔だけを見つめられました。
おそらくお父様は、心の中に、
私の顔を刻み付けていたのかもしれません。

私は微笑みながら、お父様の手に、
スプーンを取って差し上げ、
おかずを取って差し上げて、
召し上がる姿をじっと見つめました。

私もお父様のお顔を
胸に刻み付けたかったのです。



とりわけ日差しが強かった日、
人の背丈よりももっと大きな酸素ボンベを引かれつつ、
暑い日の光を受けながら、
清平湖、清心中高等学校を始め、
清平団地をあまねく回られ、天正宮に戻られて、

「天よ祝福してください。
最後をやり遂げるよう許諾してくださいますように」
というような祈祷をされたあと、
録音機を持ってくるように言われ、
「復帰摂理をすべてなした」という最後の祈祷を
私と一緒に捧げられました。

そして、「オンマ、ありがとう。
オンマ、お願いね」
お父様は息苦しそうにしておられましたが、
一気に語っていかれました。

私は、お父様の手をより一層強く握りしめながら、
親しい言葉と眼差しで、
安心させて差し上げましたね。
「何も心配しないでください」

そして、お父様は天の父母様の懐に抱かれました。
チョンソン山の麓、本郷苑でお休みになられました。


(文責:ten1ko2)


今回の聖和祝祭で、
一番心に残った場面でした。
ともにネット中継に参加されていた婦人たちも、
すすり泣いている声が聞こえてきました。

お父様は、「少し休もう」
お母様に言われていたんですね。。。
しかし、公的なものをあくまでも優先されながら、
ご夫婦でゆっくり過ごされる期間はありませんでした。

後半は、明日にお伝えします。






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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする