お待たせしました。
お母様の書信、後半部分を紹介します。
☆
お父様の聖和後、早朝になれば
私は本郷苑(ポニャンウォン)に上りました。
秋になれば暴風が吹きつけ、
冬になればボタン雪が降り積もり、
休みたい理由や言い訳は本当にたくさんありましたが、
早朝になれば1日も欠かさず本郷苑に上りました。
聖和後40日間は朝夕の霊前に食事を捧げ、
お父様が恋しい時には
数えきれないほど本郷苑を往復して、
お父様と多くの会話を交わしました。
そうしてお父様の考えが私の考えになり、
私の考えがお父様の考えになりました。
日差しの暖かい日、風の吹く日、
突然雷が鳴って土砂降りの雨が降る日、
ボタン雪が空を真っ白に覆う日、
それでも私はお父様の聖和後1095日間、
一度も侍墓(シミョ)を欠かしませんでした。
そして、1970年代にお父様が歩まれた、
アメリカのラスベガスからニューヨークまでの
5600キロを横断し、お父様とともに登った
アルプス山脈の12の峰に登りました。
あなたと約束した、
草創期の教会に戻り「神霊と真理」で
教会を復興させるとの決意を、一層強くしました。
☆
聖和3周年の時に私は、
これまで寂しかった天の父母様を慰労して差し上げ、
頌栄の対象として、
自由であられることを懇切に願いました。
そして、お父様のために天の父母様のために、
2020年までに7ヵ国の国家復帰をすることを
決意しました。
東から西に、南から北に、休む暇なく、
世界中を抱こうと巡回しました。
口の中がただれ、足が腫れて、立っていることが
できないほどの困難がありましたけれど、
私は休むことができませんでした。
お父様との約束、たとえみ旨が大変でも、
私の代で終わりを見る、という約束を守るためでした。
必ず私が成し遂げて差し上げる、
そのために私は変わりません、と言いながら
数え切れないほどの決意をし、生きてきました。
あなたが、狂おしいほどに懐かしい時には、
月を見つめながら、話しかけ、
お父様の御聖体を前にして誓った約束、
私の生涯を終える日まで、天一国をこの地に定着させる
という決意を繰り返しながら生きてきました。
☆
そのように生きてきたら、お父様、
もう聖和7周年になりました。
お父様はご存知ですよね。
お父様の聖和以後には、本当に言葉にできない
「私だけ残ってしまいました」というような立場でした。
広漠な砂漠に、砂嵐が吹き荒れ、
目を開くことができない環境で、
小さな針ひとつを探さなければならない心情でした。
しかし、お父様、私は探し出しました。
探さなければならなかったのです。
2020年までに、7ヵ国を必ず復帰するという、
私の決意は、そして、
すべての祝福家庭を神氏族メシヤとして、
天寶に入籍させるという私の決意は、
お父様のための私の贈り物です。
この贈り物が、
天の父母様に対するお父様の孝情の生涯が、
全世界に希望の光となることを祈ります。
お父様、愛しています!
お父様、愛しています!
愛しています。
(文責:ten1ko2)
☆
お母様の3年間の侍墓精誠、
お父様を慕う心情、
お父様に誓った決意と実践。
この書信を読めば、
どれだけ真のお父様と一つとなり、
ただお父様のために、天のみ旨のために歩まれた、
お母様の7年間の歩みであることを
疑う人は誰もいないでしょう。。。
それでもお母様を批判する人たちがいるというのは、
本当に悲しいことであり、
お母様もどれだけ忍耐してこられたことでしょう。
お父様に贈り物を捧げるために歩まれるお母様に、
私たちも少しでも貢献できるように、
お母様と同じ方向を向いて、歩んでいきたい、
お母様の非難、中傷を黙らせるのは、
それしかない、と改めて思わされました。
お母様、素晴らしいお手紙を、ありがとうございました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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