2019年08月19日

こうして、お父様の考えは私の考えになりました 《お母様の書信》後編



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お待たせしました。
お母様の書信、後半部分を紹介します。


お父様の聖和後、早朝になれば
私は本郷苑(ポニャンウォン)に上りました。
秋になれば暴風が吹きつけ、
冬になればボタン雪が降り積もり、
休みたい理由や言い訳は本当にたくさんありましたが、
早朝になれば1日も欠かさず本郷苑に上りました。

聖和後40日間は朝夕の霊前に食事を捧げ、
お父様が恋しい時には
数えきれないほど本郷苑を往復して、
お父様と多くの会話を交わしました。

そうしてお父様の考えが私の考えになり、
私の考えがお父様の考えになりました。

日差しの暖かい日、風の吹く日、
突然雷が鳴って土砂降りの雨が降る日、
ボタン雪が空を真っ白に覆う日、
それでも私はお父様の聖和後1095日間、
一度も侍墓(シミョ)を欠かしませんでした。

そして、1970年代にお父様が歩まれた、
アメリカのラスベガスからニューヨークまでの
5600キロを横断し、お父様とともに登った
アルプス山脈の12の峰に登りました。

あなたと約束した、
草創期の教会に戻り「神霊と真理」で
教会を復興させるとの決意を、一層強くしました。



聖和3周年の時に私は、
これまで寂しかった天の父母様を慰労して差し上げ、
頌栄の対象として、
自由であられることを懇切に願いました。

そして、お父様のために天の父母様のために、
2020年までに7ヵ国の国家復帰をすることを
決意しました。

東から西に、南から北に、休む暇なく、
世界中を抱こうと巡回しました。
口の中がただれ、足が腫れて、立っていることが
できないほどの困難がありましたけれど、
私は休むことができませんでした。

お父様との約束、たとえみ旨が大変でも、
私の代で終わりを見る、という約束を守るためでした。
必ず私が成し遂げて差し上げる、
そのために私は変わりません、と言いながら
数え切れないほどの決意をし、生きてきました。

あなたが、狂おしいほどに懐かしい時には、
月を見つめながら、話しかけ、
お父様の御聖体を前にして誓った約束、
私の生涯を終える日まで、天一国をこの地に定着させる
という決意を繰り返しながら生きてきました。



そのように生きてきたら、お父様、
もう聖和7周年になりました。

お父様はご存知ですよね。
お父様の聖和以後には、本当に言葉にできない
「私だけ残ってしまいました」というような立場でした。

広漠な砂漠に、砂嵐が吹き荒れ、
目を開くことができない環境で、
小さな針ひとつを探さなければならない心情でした。
しかし、お父様、私は探し出しました。
探さなければならなかったのです。

2020年までに、7ヵ国を必ず復帰するという、
私の決意は、そして、
すべての祝福家庭を神氏族メシヤとして、
天寶に入籍させるという私の決意は、
お父様のための私の贈り物です。
この贈り物が、
天の父母様に対するお父様の孝情の生涯が、
全世界に希望の光となることを祈ります。

お父様、愛しています!
お父様、愛しています!
愛しています。

(文責:ten1ko2)


お母様の3年間の侍墓精誠、
お父様を慕う心情、
お父様に誓った決意と実践。

この書信を読めば、
どれだけ真のお父様と一つとなり、
ただお父様のために、天のみ旨のために歩まれた、
お母様の7年間の歩みであることを
疑う人は誰もいないでしょう。。。

それでもお母様を批判する人たちがいるというのは、
本当に悲しいことであり、
お母様もどれだけ忍耐してこられたことでしょう。

お父様に贈り物を捧げるために歩まれるお母様に、
私たちも少しでも貢献できるように、
お母様と同じ方向を向いて、歩んでいきたい、
お母様の非難、中傷を黙らせるのは、
それしかない、と改めて思わされました。

お母様、素晴らしいお手紙を、ありがとうございました。





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posted by ten1ko2 at 10:19 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする